イスラバの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 04:12 UTC 版)
「ポートモレスビー作戦」の記事における「イスラバの戦い」の解説
イスラバでオーストラリア軍は登り斜面に対して機関銃の陣地を置き、防御地点には巧みに障害物を設けて十字砲火を考慮した陣地の構築を行った。先遣隊につづき歩兵第144連隊基幹の南海支隊主力は、8月16日にラバウルに寄港した後、8月18日にブナ地区のバサブアへ上陸、23日に先遣隊と合流、陸路ポートモレスビーへ向けて進撃を開始、オーストラリア軍に対して積極的攻撃が行われ、26日にはイスラバを攻撃したが、ジャングルに不慣れな日本軍の侵攻は難航し、27日と29日の日本軍の攻撃にもオーストラリア軍1個大隊基幹の第30旅団は善戦した。だが、南海支隊主力につづいて30日には配属の歩兵第41連隊も参戦、日本軍が数の有利を利用して迂回して進入したため、オーストラリア軍の第39大隊は退路を断たれることを恐れて退却した。
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