イエローバス
イエローバス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 15:27 UTC 版)
1994年から2004年まで、JRバス関東の地域密着型運営の一環として、草津町の全面協力を得て目を惹く黄色(草津町のイメージカラー)の塗装を施されたバスである。 この車両は、夜行高速バス「らくちん号」に使用されていた1987年式のいすゞ・スーパークルーザー(P-LV719R・S671-87401とS671-87402)2台を大改造し、一般路線車両として運行させたもので、前代未聞とも言える「一路線用のスーパーハイデッカー」である。当初は運賃箱と整理券発行器は設置されたものの、構造上運賃表示器の設置ができなかったため、長野原草津口駅 - 草津温泉駅間に限定して使用されたが、後に運賃表示器を搭載され、他の路線にも使用されていた。 デザインはJR九州の車両デザインを手がけた水戸岡鋭治が担当、黄色をベースに多くのロゴが配されたカラーリングとなり、内装もJR九州の特急型車両を彷彿させるものに仕上がっている。車体表記の中には数字があるが、これはデザイン上から配したものであり、特に連番などの意図がない(1と4が欠番だった)点についてもJR九州バスと同様である。 1994年2月4日から運用を開始し、初日には草津温泉駅でセレモニーも行われた。運行開始後にはバス雑誌などで地域密着型バスのモデルケースとして扱われたり、TBSテレビ「そこが知りたい」でも超豪華路線バスとして紹介されるなど、話題をまいた。観光客からは概ね好評だったため、翌年にはさらに2台が増備された。増備車は東名ハイウェイバスで余剰となっていた三菱ふそう・エアロクィーン2台であったが、1台は元「ドリーム号」で使用していた1987年式エアロクィーンW(P-MU525TA改・S654-87477)、もう1台は当時まだ夜行高速バスでも多数が使用されていた1988年式のエアロクィーンM(P-MS729SA・S654-88472)で、いずれも一般路線車に使用するとは思えないような車種であった。東名ハイウェイバス車両には停留所名表示器が設置されていたことから、運賃表示器に交換するだけで対応できたので、運用線区の限定はなかった。 この時期、長野原草津口駅バス乗り場の売店では、「幸せの黄色バス」と銘打って、イエローバスのイラストをプリントしたTシャツやロゴマークのワッペンなど、オリジナルグッズも販売していた。また、社員向けにネクタイピンも作成され、乗務員が着用しているのを見かけることもあった。長野原支店の力の入れようが伺える。後にJRバス関東ではさまざまなバス関連グッズの販売を行うようになるが、その先鞭をつけたものともいえる。 その後さらに2台が増備されたが、開業当時の「つくば号」で使用された後に長野原支店に転入していた1987年式のハイデッカー車(P-MS715S・H644-87452とH644-87453)のカラーリングを変更したものであった。格落ちとも見られるが、スーパーハイデッカーでは高齢者の乗降にはきついという意見もあったためとされている。 10年間にわたって、志賀草津高原線の名物車両として走り続けたが、スーパーハイデッカーの4台は高速バスからの格下げ車ということで傷みが激しかったため2002年には廃車、残る2台も2004年には全廃された。草津町の町制施行100周年記念サイトにおいてもイエローバス運行開始が記述されるなど、現在に至るまで続く草津町との強固なパートナーシップを象徴する存在であったといえる。
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