アンディ・リードの時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 23:58 UTC 版)
「フィラデルフィア・イーグルス」の記事における「アンディ・リードの時代」の解説
1999年にアンディ・リードがヘッドコーチに就任し、ドラフト全体2位で獲得したQBドノバン・マクナブの台頭もあってチームは一時期の低迷から脱し、2001年から2004年にかけて4年連続NFCチャンピオンシップゲームに出場した。最初の3回は敗れたが2004年シーズンには第39回スーパーボウルへの出場を果たしニューイングランド・ペイトリオッツと対戦したが21-24で敗れて優勝は果たせなかった。2008年シーズンはぎりぎりでプレーオフ出場を決め前年のスーパーボウル覇者であるニューヨーク・ジャイアンツを敵地で23-11と破ったがNFCチャンピオンシップゲームでアリゾナ・カージナルスに25-32で敗れスーパーボウル出場はならず、リードはまたしてもホノルルでプロボウルの指揮を執る事になった。リードはチャンピオンシップ敗退のヘッドコーチとして4回もプロボウルに出ており元スティーラーズHCのビル・カウアーと並んでアロハコレクターと揶揄された。 2009年、5月にジム・ジョンソンディフェンスコーディネーターが癌性腫瘍の治療のため、チームを離脱、トレーニングキャンプ直前の7月にショーン・マクダーモットをディフェンスコーディネーターに昇格させた。7月28日にジム・ジョンソンは68歳で亡くなった。 開幕直前に、闘犬賭博罪で収監され18ヶ月の刑期を終えたQBマイケル・ヴィックを獲得。2009年シーズン終了後、ドラフト権と引き換えにドノバン・マクナブをワシントン・レッドスキンズへ放出した。 2010年には、当初ケビン・コルブを先発QBとして開幕戦を迎えたが、負傷のため途中交代。2戦目以後、マイケル・ヴィックを柱としてチームは連勝を重ね、10勝6敗でNFC東地区優勝を果たす。一時はNFLから無期限出場停止処分を受けていたヴィックの活躍は、サクセスストーリとして全米の注目を集めるとともに、オバマ大統領も再起のチャンスを与えたイーグルスに対して賞賛を送った。 2011年には開幕前にナムディ・アソムーア(英語版)、ドミニク・ロジャース=クロマティ、ロニー・ブラウン(英語版)、ヴィンス・ヤングらプロボウルに出場経験のある選手を多く補強し、ドリームチームと呼ばれたがシーズンは負けが先行し、終盤盛り返すも8勝8敗でプレーオフを逃した。 2012年、ドラフト3巡目にQBニック・フォールズを指名した。この年は開幕から4試合で3勝1敗の成績をあげたが、その後8連敗するなど最後の12試合はわずか1勝で4勝12敗に終わりシーズン終了後アンディ・リードヘッドコーチは解任された。リードは14シーズンで130勝93敗1分、地区優勝6回、カンファレンスチャンピオンシップに5回出場、スーパーボウル1回出場の成績を残した。この年、チームはマイケル・ヴィックが開幕からターンオーバーを連発、ヴィック、ルショーン・マッコイが脳震盪で数試合欠場、デショーン・ジャクソンはシーズン絶望の負傷をしている。10月16日にはホアン・カスティーヨディフェンスコーディネーターが解雇された。
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