アラビア地域の居酒屋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 08:01 UTC 版)
「イスラム教における飲酒」も参照 7世紀の622年にイスラム教が成立する以前は、アラビア半島周辺ではごく普通に酒が飲まれ、アラビア語で「ハーヌート」と呼ばれる居酒屋が存在していた。アラビア圏では主に「アラック」と呼ばれる蒸留酒や「ナビーズ」と呼ばれる醸造酒が飲まれたが、地域によっても特色があり、中部ではナツメヤシ、イエメンでは蜂蜜酒があり、北部にかけてはワインやビールが古代から常飲された。 イスラム教成立以後も権力者たちの飲酒行為は止まらなかった。これはイスラム教自体が禁酒を厳格化しなかったためである。歴代のカリフたちは公然と酒に溺れ、例外は居酒屋禁止令を行ったウマイヤ朝の第8代目、ウマル2世くらいだと言われている。特にウマイヤ朝の第11代目であるアル・ワリード2世は、禁酒を説くコーランを破壊するパフォーマンスを行うほどの享楽家であった。その後アッバース朝の時代になると、異教徒であるキリスト教徒やユダヤ教徒が運営する居酒屋が普通に出店されるようになる。酒や関連する店舗は王朝に多大な税収をもたらしたため、黙認されたのである。 16世紀になってアラビア圏にカフェが発生する。ただしアラビアのカフェは15世紀の中頃にアフリカから伝わったコーヒーが主体であった。カフェは16世紀の中頃までにはアラビア圏を網羅し、後期にはモスクに隣接するような大規模な店も出店するようになった。アラビア圏ではカフェの隆盛が契機となって禁酒の傾向が進み、コーヒーの飲用が奨励された。しかし酒類の提供は水面下続けられ、現在でも都市部などで細々と行われており、厳格なサウジアラビアやスーダンでも密造酒が流通しているほどである。
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