アラゴンとの再会 - 地下出版
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「ポール・エリュアール」の記事における「アラゴンとの再会 - 地下出版」の解説
エリュアールは「自由」を含む詩集『詩と真実』、『戦争中の恋愛詩七篇』をフォンテーヌ誌出版社から偽名で刊行した。ピエール・セゲルス(フランス語版)もまたエリュアールの『無意識の詩と意図した詩』を南部の自由地帯で印刷し、配布した。1942年にエリュアールは再び共産党に入党し、同党主導の全国作家委員会(フランス語版)を北部地帯で結成するために、対独協力を拒否している作家・詩人たちと連絡を取り、その糾合に努めた。全国作家委員会はすでにアラゴン、エルザ・トリオレ、ジャン・ポーランらによって南部の自由地帯で結成され、アラゴンが代表を務め、ジャン・カスー、クロード・アヴリーヌ、ルイ=マルタン・ショフィエ(フランス語版)らが参加していた。当時、ニースで活動していたアラゴンは、南部地帯と北部地帯における全国作家委員会の活動を統一し強化するために、1943年の初めにパリに出てエリュアールと話し合うことにした。偽造通行証を持ってエルザとともにリヨン駅に着いたアラゴンを、エリュアールはヌーシュとともに出迎えた。10年ぶりの再会であった。アラゴンは、「木の葉や人々を吹き散らす風は、1930年代、我々の間を引き裂いた。この歴史は我々の歴史に留まらず(大文字書きの)「歴史」だった。我々を引き離したものは、ついに、永久に、再び我々を結びつけたのだ」と書いている。 一方、当時挿絵画家であったジャン・ブリュレル(ヴェルコール)と作家のピエール・ド・レスキュール(フランス語版)は地下出版社の深夜叢書を創設。エリュアールはエディット・トマ(フランス語版)を介して彼らに会い、1943年に抵抗詩人22人のアンソロジー『詩人たちの名誉(フランス語版)』を編纂し、深夜叢書から刊行した。アラゴン(筆名ジャック・デスタン)は「フランスの起床ラッパ」、「責苦のなかで歌ったもののバラード」、「薔薇と木犀草」などの詩を掲載した。エリュアールは偽名で「ナチの歌」、「敵の素晴らしき正義」、「勇気」を掲載するほか、無署名で書いた序文で、次のように訴えた。 アメリカ人民に鼓舞されたホイットマン、武器を取れと呼びかけたユーゴー、パリ・コミューンから霊感を与えられたランボー、みずからも奮い立ち、ひとをも奮い立たせたマヤコフスキー・・・広大な見地に立った詩人たちは行動へと導かれたのだ・・・闘争こそが詩人たちに力を与えることができる(大島博光訳)。 1943年11月から翌44年2月まで南仏ロゼール県サンタルバン=シュル=リマニョルの精神病院の医師リュシアン・ボナフェ(フランス語版)のもとに身を隠した。『詩人たちの名誉』が民衆の共感を呼び、たちまち数版を重ねたため、再びパリに出て、5月に第2号「欧州編」を刊行した。エリュアールは上記のほか、『苦しみの武器』、『ドイツ軍の集合地にて』などの詩集をモーリス・エルヴァン、ジャン・デュ・オーの偽名で地下出版した。また、作曲家フランシス・プーランクは1943年にエリュアールの詩によるカンタータ「人間の顔(フランス語版)」を作曲した。
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