正木不如丘(まさき・ふじょきゅう)
本名正木俊二。1887年(明20)、長野県生まれ。東京帝国大学医学科卒。成績優秀のために恩賜の銀時計を受ける。
福島の県立病院院長を経て、フランスのパスツール研究所への留学後、慶応大学医学部内科助教授となるが、長野県に結核療養所(サナトリウム)である富士見高原療養所に赴任。医学部内の対立から1929年(昭4)には辞して、療養所の所長に専念する。療養所は「高原のサナトリウム」として有名になる。富士見高原療養所赴任後の執筆活動による印税は療養所維持に充てていたという。
1922年(大11)、随筆「診療簿余白」を「東京朝日新聞」に発表。
1923年(大12)、小説「三十前」「木賊の秋」を刊行。
1924年(大13)、同人誌「脈」を創刊。
1925年(大14)、大衆文芸の振興を目的とした「二十一日会」同人となる。同人には中心となった白井喬司のほか、江戸川乱歩、小酒井不木、土師清二、国枝史郎、長谷川伸がいた。
「漆黒レッテル」は探偵趣味の会の「創作探偵小説集 第一号(1925年版)」に収録される。
1926年(大15)、探偵小説「赤いレッテル」を「新青年」に発表。
1933年(昭8)、横溝正史が結核のため、富士見高原療養所に入院。
1962年(昭37)、肝臓癌により死去。
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