どん底のNBA
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/04 00:14 UTC 版)
「1978-1979シーズンのNBA」の記事における「どん底のNBA」の解説
1970年代のNBAはマイナス要素となる事柄が幾重にも折り重なってに発生し、1960年代後半の高度成長の反動とも言うべき冬の時代を過ごした。1960年代後半のNBAは記録的な成長を見せていたが、そんな好景気に沸くNBAに冷や水を浴びせたのが1967年に誕生したABAだった。NBAにとって独占市場だったプロバスケットボールという分野に、突如としてライバルが進出してきたのである。当然ABAとの間では激しい生存競争が起こり、特に選手確保のための争奪戦は壮絶を極めた。優秀な選手を得るためにはより良い条件を示さなければならないため、選手のサラリーは記録的な上昇を見せた。1964年のオールター決起以来急速に力を着けてきたNBPA(選手会)が度々労使交渉を起こしたこともサラリーの上昇を手伝い、各球団の財政を圧迫した。 一方で各球団の主な収入源であるチケット売り上げは1970年代に入って伸びが鈍化し、1977-78シーズンにはリーグ全体の観客動員数が1960-61シーズン以来となる減少に転じ、翌1978-79シーズンは前季の9,874,155人から9,761,377人と2年連続で減少した。選手のサラリーが上がる一方で、収入は上がらず、赤字経営に陥るチームが続出したのである。 また1970年代はウィルト・チェンバレンやビル・ラッセルら怪物のようなプレイヤーが活躍した1960年代に比べて、スター選手が少なかった時代でもあった。1972年のエルジン・ベイラー引退を機に、60年代から70年代前半のNBAを彩ったスター選手たちが大挙としてNBAを去ったが、その後のドラフトでは彼らの穴埋めが出来るほどの選手は現れなかった。一方でリーグはABAとの競争のために強引な拡張策を採り、急速にチーム数を増やしてABAを吸収した1976年には22チームにまで膨れ上がっていた。スター選手が増えない中で受け皿となるチーム数だけが増えていったため、各チームはスター選手の確保に苦労する羽目になり、結局は選手のサラリー増額に繋がり、球団の財政をさらに圧迫した。もっともこの現象はスポーツとしての平等性としては有利に働き、当時のNBAにはサラリーキャップ制度が確立されていなかったにもかかわらず、各チームの戦力が均等化された。これにより70年代のNBAには60年代のボストン・セルティックスのような長期に渡ってリーグを支配するようなチームは現れず、毎年王者が入れ替わる群雄割拠の戦国時代となった。この時代にニューヨーク・ニックス、ポートランド・トレイルブレイザーズ、シアトル・スーパーソニックスは初優勝、あるいは唯一の優勝を経験している。但し、70年代後半に入るとセルティックスやニックス、ロサンゼルス・レイカーズといった名門チームが優勝から遠ざかるため、各チームが本拠地とするボストン、ニューヨーク、ロサンゼルスといった大都市の興味が、NBAから離れてしまう事態も招いた。 そしてこの時代NBAに致命傷になりうる大打撃を与えたのが、選手たちの薬物スキャンダルだった。70年代はリーグ全体にマリファナが急速に広がった時期であり、ある報道では全選手の60%がマリファナを吸引していると報じられた。大きな乱闘事件が多発した時期と重なったため、リーグのイメージは決定的に汚された。 危機的な財政難にリーグのイメージの急速な悪化。当時、NBAは正にどん底に沈んでいたのである。NBAには、救世主が必要だった。
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