その他嫌疑を受けた未解決事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 13:57 UTC 版)
「古谷惣吉連続殺人事件」の記事における「その他嫌疑を受けた未解決事件」の解説
一方、古谷の余罪が次々と明らかになったことで、当時手口の類似した未解決事件を抱えていた府県警は古谷に嫌疑を向け、同時に事件の一挙解決を期待した。その中でも捜査陣は以下の2事件を最終段階に至るまで有力視し、解明に向け努力を進めた。 1951年7月5日に京都市左京区下鴨上川原町(鴨川・北大路橋の下)で判明した殺人事件(北大路事件) - 被害者は46歳男性(死因:日本手拭いで首を絞められたことによる窒息死)。遺体は両手を後手に縛られ、うつ伏せの状態で鶏糞入りの俵(1俵=30 kg)の下敷きになっていた。 鳥取県米子市大谷町(新加茂川堤防)で1964年(昭和39年)11月17日に判明した強盗殺人事件(米子事件) - 堤防上の掘立小屋が全焼し、焼け跡から住人の男性(当時46歳)が遺体で発見された(死因:草刈り鎌による強打)。 米子事件は一連の連続殺人と同じく、「堤防の掘立小屋に住む独居男性が被害者である点」「凶器の草刈り鎌が福岡事件の際に用いられた凶器(刺身包丁)と類似している点」「初動捜査時の聞き込みの結果、近隣住民が犯行当日に古谷と似た人相の男を目撃している点」といった共通点が見いだされた。加えて事件発生日前後(11月12日 - 29日)の古谷の行動は不明瞭で、古谷がいた熊本自営会の押し入れから兵庫県警がズボン(米子事件の被害者と同じ姓が書かれていた)が入っていたこともあり、鳥取県警は古谷に強く嫌疑を掛けた。 また、北大路事件も「人目のない橋の下が現場」「被害者の両手を緊縛して絞殺し、(遺体の上に)多量の俵を積んだ残忍性」「被害者の職業がバタ屋(廃品回収業)である点」と、これまでに古谷の犯行と断定された事件と類似していた。加えて古谷は当時、5月 - 6月に福岡県内で坂本と共謀して連続強盗殺人事件を犯していたが、その後発生した北大路事件(7月5日)時点では関西方面にいたことが推測される資料も発見され、強い疑いが掛けられた。これを受け、捜査陣が古谷を取り調べたところ、古谷は2月13日に「1951年夏に北大路橋の下で40歳くらいのバタ屋の男を絞殺し、現金1,000円位を奪った」と述べ、公訴時効成立まで4か月ほどに迫っていた北大路事件を自供。さらに犯人しか知り得ない事実も含め、古谷から同事件の自供を得ることに成功し、105号事件(伏見区の2事件)とともに送検したが、古谷は送検後に一転して「無理に自白させられた」と否認した。このため、神戸地検は北大路事件については証拠不十分を理由に不起訴処分とし、同事件は公訴時効が成立した。また米子事件についても、古谷は兵庫県警の取り調べに対し「拘置所に行ってからでないと喋らない」と述べ、具体的な供述を引き出すことはできなかったため、検察側は最終的に起訴を断念した。
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