その他の地域の被害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 06:22 UTC 版)
軽井沢 詳細は「軽井沢宿#天明3年浅間山の噴火」を参照 報告書によると、信濃国軽井沢宿は以下のような様子であったという(当時の記録に基づく)。 軽井沢宿では、6月29日から震動のため家鳴りが激しく、宿の百姓たちの一部は追々避難した。7月には、石・砂が4、5尺(約120~150cm)の厚さに積もった(ただし、この数字は誇張されており、実際の厚さは4、50cmであった)。7月7日の夜には、激しい震動のため戸のはめが外れるほどであった。1尺(約30cm)四方 もある大石が燃えながら飛んできて、民家の屋根に燃えつき一面の火災となった。石に潰された家も多かった。8日には、泥状のものが雨のように降り、そのため積もった石・砂が固まってしまい除去が困難になった。宿の人々は、7日から8日にかけての夜に、戸・桶・夜具など を頭にかぶって落下する石を避けながら、6、7里(約24~28km)も離れた他村へと避難した。その際、1人が石に打たれて即死した。 家屋の被害は、倒壊家屋70軒、焼失家屋51軒、大破65軒であり、全戸が何らかの被害を受けた。 —中央防災会議 災害教訓の継承に関する専門調査会、『1783 天明浅間山噴火 報告書』106頁、 江戸 遠く離れた江戸でも噴火の影響は大きく、約3cm降灰し昼間でも灯りを要するほど暗くなったという。報告書によると以下のような記録がある。 7月6日の暮れから、戸・障子・建具などが何となくビリビリと地鳴り震動した。7日の午前10時ごろまでは、空が霞がかかったように一円に曇り、昼ごろからチラチラと風に乗って灰が降った。暮れごろから次第に鳴響きが強くなり、灰・砂の降り方も激しくなった。夜中には 遠雷のような音がして激しく震動し、灰・砂も雨のように降った。8日朝には、空が土色になり、午前10時ごろになっても明け方のように薄暗かった。少し雨が降り、午後0時ごろから次第に晴れてきたが砂は少しずつ降り続いた。午後2時ごろからまた地鳴り震動が起こり、夜まで続いた。2寸~1尺(約6~30cm)くらいの白い馬の毛のようなものが降り、中に赤いものも交じっていた。9日午後10時過ぎから雨になり、灰・砂はようやくしずまった。 —中央防災会議 災害教訓の継承に関する専門調査会、『1783 天明浅間山噴火 報告書』107頁、 武蔵国金町村(現東京都葛飾区金町)の名主によると「7月9日午後2時頃から江戸川の水が泥で濁り、根を付けたままで折れた木や、粉々になった家財道具・材木などが川一面に流れてきた。中に、損壊した人や牛馬の死骸もたくさん交じっていた。午後8時過ぎから流下物は次第に減っていった」とのことである (浅間山焼記録)。俳人の小林一茶も江戸で天明泥流を経験しており、その様子を『寛政三年紀行』に記している。 その他 現在の岩手県宮古市 (田老) でも降灰があったことや和歌山県田辺市でも鳴動があったことが、近年の調査でわかった。
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