その他の地域の摘発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/05 05:28 UTC 版)
岐宿では帳方・水浦久三郎の家が、楠原では帳方・狩浦喜代助の家が、岳(三井楽)では山下善三郎の家が、鯛の浦では滝下清造の家が、奥浦では浦頭の中尾喜助の家が仮牢とされ、そこに信者たちが入れられた。富江の山の田の信者たちは、牛馬や家財道具を没収されて山中に追われ、拷問も受けた。宿の浦の信徒たちは若松牢に入れられて拷問を受けた。福見(奈良尾町)の9家族50人は逃亡生活の後、故郷に帰った時には、家は壊され、家財道具は奪い去られていた。 野首、瀬戸脇では1869年(明治2年)10月6日、野首八戸、瀬戸脇七戸のキリシタン約50人が小値賀の牢に入れられた。 五島の郷民による私刑もあり、曾根では柱に縛り付けられて殴られ、算木責めを受けた。隠れている小屋に火を着けられ、家財、衣類、食物は掠奪され、石臼は海に捨てられ、水がめは叩き割られた。畑から勝手に掘り出された芋は、魚や金に換えて酒宴が開かれた。
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