佐敷城跡とは? わかりやすく解説

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佐敷城跡

名称: 佐敷城跡
ふりがな さしきじょうあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 熊本県
市区町村 葦北郡芦北町
管理団体
指定年月日 2008.03.28(平成20.03.28)
指定基準 史2
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 佐敷城跡は、豊臣秀吉の九州平定に伴い天正16年(1588)に芦北地方を含む肥後半国19万石領主となった加藤清正が、島津氏備えるべく薩摩肥後国防備のための「境目の城」として築城したもの考えられる天正15年(1592)、島津家家臣梅北国兼一時占拠され梅北一揆の地であり、慶長5年関ヶ原の戦に際して西軍島津氏攻撃受けた関ヶ原の戦後、清正肥後一国51万石領主となり、佐敷城跡は肥後国内の有力支城として整備されたが、元和元年(1615)の一国一城令により廃城となった寛永15年(1638)に細川氏により、前領主加藤氏破城が不十分であったため、改め石垣撤去したことが知られる本丸中心に、その南に階段状に二の丸及び三の丸郭、尾根沿いに出丸郭を設ける、城下町薩摩街道が走る城山東側を大手とし、枡形虎口備えた城門3つ連続する本丸二の丸三の丸は総石垣造として注目され、特に大手側(東側)は高石垣築造する。「天下泰平国土安穏」銘鬼瓦桐紋鬼瓦Ⅲ期石垣に伴う「慶長十二丁未」銘軒平瓦をはじめ多量の瓦が出土し破城状況もよく確認された。近世初頭頃の政治・軍事理解するうえで重要な遺跡である。
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