佐渡の人形芝居(文弥人形、説経人形、のろま人形)
名称: | 佐渡の人形芝居(文弥人形、説経人形、のろま人形) |
ふりがな: | さどのにんぎょうしばい(ぶんやにんぎょう,せっきょうにんぎょう,のろまにんぎょう) |
種別1: | 民俗芸能 |
保護団体名: | 佐渡人形芝居保存会 佐渡文弥人形振興会,新穂村人形保存会 |
指定年月日: | 1977.05.17(昭和52.05.17) |
都道府県(列記): | 新潟県 |
市区町村(列記): | 両津市,佐渡郡 |
代表都道府県: | 新潟県 |
備考: | |
解説文: | 佐渡地方に伝わる説経、のろま、文弥人形の芝居で、それぞれ浄瑠璃、人形操作、人形首に特色があるもので、人形芝居の変遷の過程を知る上で貴重なものである。 説経人形は説経節の弾奏にあわせて、突込式の人形を操るもので、「熊野合戦」、「酒呑童子」などの演目がある。その一興行の間狂言として、のろま人形が演じられる。のろまは佐渡の方言を巧みに交えたせりふで操られ、「生地獄」、「木の助座禅」など喜劇性の強い演目がある。文弥人形は文弥節によって人形を操るもので「出世景清」、「源氏烏帽子折」などが伝承されている。 |
佐渡の人形芝居
名称: | 佐渡の人形芝居 |
ふりがな: | さどのにんぎょうしばい |
種別1: | 民俗芸能 |
保護団体名: | 佐渡人形芝居保存会 |
選択年月日: | 1971.04.21(昭和46.04.21) |
都道府県(列記): | 新潟県 |
市区町村(列記): | 佐渡郡 |
代表都道府県: | 新潟県 |
備考: | 所在地が同一都道府県内のもの(このデータは種別1から移行しています) |
解説文: |
佐渡の人形芝居
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/07/24 14:59 UTC 版)
佐渡の人形芝居(さどのにんぎょうしばい、文弥人形、説経人形、のろま人形)は、新潟県佐渡市に伝わる人形芝居(人形浄瑠璃)。
歴史
佐渡の人形芝居の伝来には諸説がある。寛保年間に江戸の人形遣い野呂松勘兵衛が佐渡に渡り、人形を遣わせたのが始まりだという説と、新穂村の須田五郎左衛門が京都に上って、公卿から浄瑠璃と人形の遣い方を習い、現在の広栄座が引き継いでいるという説であるが、どちらも文献資料がない。しかし、広栄座の人形に「享保雛」に似ているものがあり、また上方系の台本が多いことから、享保年間頃に上方から移入されたとする説が有力である。[1]
江戸時代の佐渡の人形は『恵美草』、『天保年間相川十二ヶ月』によると説教人形で、幕間狂言に野呂間(のろま)人形が登場し、祭の余興として神社や寺堂で行われていた。舞台は高さ四尺の腰幕に水引幕を吊るすだけで、大夫は幕の陰で弾き語りをした。
説教人形の概要
佐渡の説教人形は金平(きんぴら)人形ともいわれ、大江山酒呑童子や熊野合戦などの合戦ものと、哀れな心情を表現する孕常盤(はらみときわ)や山椒大夫がよく演じられた。大夫一人に人形の遣い手三人という人形座で、頭、遣い方、衣裳なども簡単で古風であったといわれる。
野呂間人形の概要
野呂間人形は説教人形・文弥人形の間狂言として、一人遣いで方言を交えた台詞と滑稽卑俗な話で観客を笑わせる。人形遣い野呂松勘兵衛によって有名になったことから、野呂の間狂言を縮めて「野呂間」人形と呼ばれるようになった。一説には、この愚鈍な滑稽芝居が、ノロマ(野呂間)の語源とも言う。現在は広栄座のみに存在し「生き地蔵」「そば畑」などが演じられている。
脚注
参考文献
(財)佐渡博物館『図説佐渡島歴史散歩』河出書房新社、1998年
関連項目
外部リンク
- 佐渡の人形芝居(文弥人形、説経人形、のろま人形) - 国指定文化財等データベース(文化庁)
佐渡の人形芝居(文弥人形、説経人形、のろま人形)
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「文楽」の記事における「佐渡の人形芝居(文弥人形、説経人形、のろま人形)」の解説
新潟県佐渡市。保護団体名:佐渡人形芝居保存会(佐渡文弥人形振興会、新穂村人形保存会)。演目は「源氏烏帽子折」など。文弥人形の文弥節は古浄瑠璃の1つ。
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