文弥人形とは? わかりやすく解説

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佐渡の人形芝居(文弥人形、説経人形、のろま人形)

名称: 佐渡の人形芝居(文弥人形、説経人形のろま人形
ふりがな さどのにんぎょうしばい(ぶんやにんぎょうせっきょうにんぎょうのろまにんぎょう
種別1: 民俗芸能
保護団体名: 佐渡人形芝居保存会
 佐渡文弥人形振興会,新穂村人形保存会
指定年月日 1977.05.17(昭和52.05.17)
都道府県(列記): 新潟県
市区町村(列記): 両津市佐渡郡
代表都道府県 新潟県
備考
解説文:  佐渡地方に伝わる説経、のろま、文弥人形の芝居で、それぞれ浄瑠璃人形操作人形首特色があるもので、人形芝居変遷過程を知る上で貴重なのである
 説経人形説経節弾奏あわせて突込式の人形を操るもので、「熊野合戦」、「酒呑童子」などの演目がある。その一興行の間狂言として、のろま人形演じられる。のろまは佐渡方言巧みに交えたせりふで操られ、「生地獄」、「木の助座禅」など喜劇性の強い演目がある。文弥人形は文弥節によって人形を操るもので「出世景清」、「源氏烏帽子折」などが伝承されている。

文弥人形

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/06/03 05:22 UTC 版)

文弥人形(ぶんやにんぎょう)とは、新潟県佐渡市に伝わる国の重要無形民俗文化財の一つである。

江戸中期から、金山でにぎわっていた佐渡では、寺社などの祭で人形芝居が行われていた。その後明治時代になって、前述の人形芝居と文弥節が結びつくかたちで広がったのが文弥人形である。

概要

文弥人形が成立したのは、明治時代のはじめであった。盲人の座語りとして語られていた文弥節を佐和田町沢根の伊藤常盤一(いとう ときわいち)が語り、小木町の人形遣いの大崎屋松之助が腰幕の内側に組み立て式の枠を組み、四枚の襖を立て二重舞台に改良した。

また、人形の着物も下から手を入れるのではなく、背を裂いて手を入れる遣い方になり、さらに頭が意図によって前後左右に動くように工夫された結果、佐渡の人形芝居は一新した。

現在、佐渡の人形芝居といえば文弥人形であり、島内に十座ほどあって、佐渡人形芝居保存会を結成している。

参考文献

(財)佐渡博物館『図説佐渡島歴史散歩』河出書房新社、1998年




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