ごぜうたとは? わかりやすく解説

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瞽女唄

名称: 瞽女唄
ふりがな ごぜうた
芸能工芸区分 芸能
種別 音楽
選択年月日 1970.04.17(昭和45.04.17)
選択要件
備考
解説文:  瞽女唄とは、盲人女性三味線伴奏楽器にして所々持ち歩いた種々の音楽をいう。この種々の音楽は、段物・くどき・民謡・俗謡から成り立っているが、これらは一種独特の曲調節回しのあるところから、「ごぜ唄」とか「ごぜ節」と呼ばれて伝えられてきている。これらのうち、とくに段物日本芸能の一主流をなしている語り物の系脈を継いでいる貴重なものであり、また民謡・俗謡中には日本各地民謡母系考えられるものを含んでおり、日本音楽史価値が高いと認められるので、これを記録作成等の措置講ずべきものとして選択する
 瞽女そもそもの起源について明らかでないが、平曲男性盲人琵琶法師によって語り広められ女性盲人もこの種の芸能者として存在していたことは、「看聞御記」の記事や「七十一番職人歌合」の絵によって明らかである。しかし、当時は鼓を伴奏楽器としており、その呼称瞽女であったかどうか明らかでない瞽女というのは、「盲御前」から訛ったものともいわれており、三味線伴奏楽器とする芸能者になったのも、三味線日本渡来し日本楽器として定着して以降のことである。したがって今日瞽女原形は、室町後期から江戸期初期には成立しているとみられる
 室町期以降男性盲人団体当道称して代々幕府公認であったが、瞽女にもこれに似たものがあって、駿府越後長岡江戸甲府美濃諏訪沼津などには瞽女屋敷があったと伝えられている。しかし、これらの瞽女屋敷の跡は現在は全くなく、瞽女越後系のものが僅かに残っているだけである。
 今日明らかにされている越後瞽女は、高田系、刈羽系、長岡系の三つ大別される高田系では、杉本キクイ杉本シズ難波コトミ三人刈羽系では、伊平ソイ故人)、長岡系では、小林ハル金子セキ中静ミサオ三人僅かにその芸系を伝えている。このうち伝承曲が多く演奏歴長い杉本キクイ伊平ソイ二人は、昭和四十年三月、瞽女唄の伝承者として記録選択された。今回は、芸系の異な長岡系の瞽女として、長年演奏活動続けその伝承曲を多くにつけている小林ハル選択し、その記録をとることとした。

瞽女唄

名称: 瞽女唄
ふりがな ごぜうた
芸能工芸区分 芸能
種別 音楽
選択年月日 1970.04.17(昭和45.04.17)
選択要件
備考
解説文:  瞽女唄とは、盲人女性三味線伴奏楽器にして所々持ち歩いた種々の音楽をいう。この種々の音楽は、段物・くどき・民謡・俗謡から成り立っているが、これらは一種独特の曲調節回しのあるところから、「ごぜ唄」とか「ごぜ節」と呼ばれて伝えられてきている。これらのうち、とくに段物日本芸能の一主流をなしている語り物の系脈を継いでいる貴重なものであり、また民謡・俗謡中には日本各地民謡母系考えられるものを含んでおり、日本音楽史価値が高いと認められるので、これを記録作成等の措置講ずべきものとして選択する
 瞽女そもそもの起源について明らかでないが、平曲男性盲人琵琶法師によって語り広められ女性盲人もこの種の芸能者として存在していたことは、「看聞御記」の記事や「七十一番職人歌合」の絵によって明らかである。しかし、当時は鼓を伴奏楽器としており、その呼称瞽女であったかどうか明らかでない瞽女というのは、「盲御前」から訛ったものともいわれており、三味線伴奏楽器とする芸能者になったのも、三味線日本渡来し日本楽器として定着して以降のことである。したがって今日瞽女原形は、室町後期から江戸期初期には成立しているとみられる
 室町期以降男性盲人団体当道称して代々幕府公認であったが、瞽女にもこれに似たものがあって、駿府越後長岡江戸甲府美濃諏訪沼津などには瞽女屋敷があったと伝えられている。しかし、これらの瞽女屋敷の跡は現在は全くなく、瞽女越後系のものが僅かに残っているだけである。
 今日明らかにされている越後瞽女は、高田系、刈羽系、長岡系の三つ大別される高田系では、杉本キクイ杉本シズ難波コトミ三人刈羽系では、伊平ソイ故人)、長岡系では、小林ハル金子セキ中静ミサオ三人僅かにその芸系を伝えている。このうち伝承曲が多く演奏歴長い杉本キクイ伊平ソイ二人は、昭和四十年三月、瞽女唄の伝承者として記録選択された。今回は、芸系の異な長岡系の瞽女として、長年演奏活動続けその伝承曲を多くにつけている小林ハル選択し、その記録をとることとした。

瞽女唄

名称: 瞽女唄
ふりがな ごぜうた
芸能工芸区分 芸能
種別 音楽
選択年月日 1978.03.25(昭和53.03.25)
選択要件
備考
解説文:  瞽女唄とは、盲人女性三味線伴奏楽器にして所々持ち歩いた種々の音楽をいう。この種々の音楽は、段物・くどき・民謡・俗謡から成り立っているが、これらは一種独特の曲調節回しのあるところから、「ごぜ唄」とか「ごぜ節」と呼ばれて伝えられてきている。これらのうち、とくに段物日本芸能の一主流をなしている語り物の系脈を継いでいる貴重なものであり、また民謡・俗謡中には日本各地民謡母系考えられるものを含んでおり、日本音楽史価値が高いと認められるので、これを記録作成等の措置講ずべきものとして選択する
 瞽女そもそもの起源について明らかでないが、平曲男性盲人琵琶法師によって語り広められ女性盲人もこの種の芸能者として存在していたことは、「看聞御記」の記事や「七十一番職人歌合」の絵によって明らかである。しかし、当時は鼓を伴奏楽器としており、その呼称瞽女であったかどうか明らかでない瞽女というのは、「盲御前」から訛ったものともいわれており、三味線伴奏楽器とする芸能者になったのも、三味線日本渡来し日本楽器として定着して以降のことである。したがって今日瞽女原形は、室町後期から江戸期初期には成立しているとみられる
 室町期以降男性盲人団体当道称して代々幕府公認であったが、瞽女にもこれに似たものがあって、駿府越後長岡江戸甲府美濃諏訪沼津などには瞽女屋敷があったと伝えられている。しかし、これらの瞽女屋敷の跡は現在は全くなく、瞽女越後系のものが僅かに残っているだけである。
 今日明らかにされている越後瞽女は、高田系、刈羽系、長岡系の三つ大別される高田系では、杉本キクイ杉本シズ難波コトミ三人刈羽系では、伊平ソイ故人)、長岡系では、小林ハル金子セキ中静ミサオ三人僅かにその芸系を伝えている。このうち伝承曲が多く演奏歴長い杉本キクイ伊平ソイ二人は、昭和四十年三月、瞽女唄の伝承者として記録選択された。今回は、芸系の異な長岡系の瞽女として、長年演奏活動続けその伝承曲を多くにつけている小林ハル選択し、その記録をとることとした。
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