くにがみほうせいかいどうとは? わかりやすく解説

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国頭方西海道

名称: 国頭方西海道
ふりがな くにがみほうせいかいどう
種別 史跡
種別2:
都道府県 沖縄県
市区町村 国頭郡恩納村
管理団体
指定年月日 2004.09.30(平成16.09.30)
指定基準 史6
特別指定年月日
追加指定年月日 平成21.02.12
解説文: 国頭方西海道は、琉球王朝首都であった首里国内各地を結ぶ道の一つであり、15世紀後半以降第二尚氏時代には海上を含むすべての道が首里通ず道として整備されとされる
このうち西海道は、首里西原間切から浦添北谷読谷山、金武名護今帰仁国頭の各間切を通る道筋である。間切とは、集落集まりをいい、琉球王朝時代行政単位であった
恩納村を通る西海道は、読谷から多幸山、山田城跡恩納城跡の下を通過する琉球王朝時代の各間切番所番所を繋ぐ宿道となっていて、人々文物交流担った主要道であったその中で読谷喜名から恩納経て国頭地方に向かう道を「国頭方西海道」と称した道幅は約2.4mでその両側松並木植栽されていたとされ、道の周りには一里塚や石矼、御待毛等の遺跡も多い。
御待毛は、国王役人地方巡検する時に街道沿いの村人などを集め荷役をさせたが、こうした人々国王役人待ち歓迎するための広場であった真栄田一里塚は、土と炭を混ぜ合わせた土塚で、その上部に琉球松等が植えられ対に設置されていた。一方の塚は開墾破壊されたが、現在復元されている。寺川矼は、垂川に架かる石矼で、農地の近代化のため撤去されており、現在は仮橋かっている。本来は2枚板石橋台部の石積み支えていた幅2m程のものであった山田城跡の麓を西海道通っているが、途中山田谷川の石矼がある。石矼は、琉球石灰岩野面積み部分アーチ形式を施したのである。この東には貝塚岩陰住居跡遺跡である史跡仲泊遺跡がある。道は、この中通っており、石畳道比屋根坂と呼ばれる。この坂の東にある仲泊集落中に仲泊一里塚がある。一里塚は自然の丘を利用したものといわれ、現在もその高まり残している。
国頭方西海道は、昭和63年度から整備事業実施され道・石修理休憩施設整備説明板案内板標識整備事業実施した
このように琉球王朝時代の道である国頭方西海道が、各遺跡とともに良好に残っていることは、我が国交通の歴史考え上で重要であり、石畳道、御待毛、真栄田仲泊一里塚、石矼など整備事業終了した部分含めた1km史跡として指定し保護図ろうとするものである
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