臥薪嘗胆
「臥薪嘗胆」とは、「復讐」あるいは「いつか必ず果たすと誓った目的」のために、長い間、辛苦に耐えながら努力すること、を意味する故事成語である。読み方は「がしんしょうたん」である。「肝を嘗める」ともいう。
「臥薪嘗胆」は、古代中国の歴史書「十八史略」の中の「春秋戦略」のくだりに由来する故事成語である。元々は「復讐のため苦難に耐える」ことを意味するが、現代においては復讐に限らず「目的・目標を達するため辛苦に耐えて努力する」という幅広い意味で用いられる。
「臥薪嘗胆」の由来(あらすじ)
古代中国の春秋時代において「呉」と「越」は敵対関係にあった。呉王の闔呂(こうりょ)は、越王の勾践(こうせん)に討たれてしまった。闔呂の息子・夫差(ふさ)は、父の仇を討つことを近った。それからは、眠るときは薪の上で寝ることで自身を苛み、勾践への復讐心を燃やした。そして数年の後、夫差はついに勾践を打ち破り、復讐を成就した。敗れた勾践は、夫差の馬小屋の番人として仕え、恥辱にまみれた。その後、越に帰国した勾践は、あの恥辱を忘れるまい、呉への復讐心を忘れるまいと、折に触れて苦みばしる肝を舐めた。そして、勾践は越の兵を集め、後年ついに呉の夫差に対して大勝し復讐を果たした。夫差は「臥薪」により、勾践は「嘗胆」により、自らに辛く苦しい体験を強いた。それによって、復讐心を再燃させ、風化させることなく燃やし続けたわけである。
臥薪嘗胆の使い方、用例
「臥薪嘗胆」は、典型的には、「どんなに苦労しても、時間がかかっても、きっと遂げたい目標」があり、「その目標を達成するために日々苦労を重ねている」という状況を指す表現として用いられる。日清戦争後まもない日本で「臥薪嘗胆」が巷で流行のフレーズになったことがある。日本は日清戦争に勝利し、これにより遼東半島の領有権が得られるはずであったが、ロシア・フランス・ドイツが遼東半島を清に返還するよう政治的圧力をかけてきた。日本はこれらの強国に逆らうのは分が悪いと判断し、あえなく遼東半島を清に返還することにしたが、三国干渉の中心であったロシアが遼東半島を掠め取って我がものとしてしまった。この露助の振る舞いは日本国民の多くに大きな屈辱感をもたらし、それから巷では「臥薪嘗胆」の言葉が流行した。10年後に日露戦争が勃発し、日本は露助に勝利した。かつて雪辱を誓い、そして年月を経てついに雪辱を果たしたという展開は、まさに臥薪嘗胆の故事そのものといえる。
臥薪嘗胆の類語
臥薪嘗胆と似たような意味を持つ類語は多く存在する。「座薪懸胆(ざしんけんたん)」や「漆身呑炭(しっしんどんたん)」はその例であり、この2語はどちらも故事に由来している。「座薪懸胆」は「硬い薪の上に座り、枕元に苦い肝を懸けて寝起きに舐める」ことを、「漆身呑炭」は「身体に漆を塗り、炭を呑む」ことを意味し、どちらも「仇討ちなどの目的のために苦労を耐える」という意味をもつ点で臥薪嘗胆と共通している。日常的によく使うわかりやすい言葉では、「名誉挽回」や「汚名返上」といった言葉が臥薪嘗胆に近い意味をもつ類語と言える。どちらも「一度評価が下がっており、元と同等の評価にまで回帰させる」という意味をもっているが、いずれにしても、将来の成功を夢見て屈辱や苦労に耐えるという点では同じ意味であり、苦しさを耐え忍ぶ重要性を私たちに教えてくれる言葉である。しかし、「名誉挽回」や「汚名返上」には苦しみに耐えるというニュアンスが多少小さくなっているため、「耐え忍ぶ」という意味合いに重点を置きたい場合は「臥薪嘗胆」の方がしっくり来る。
がしん‐しょうたん〔グワシンシヤウタン〕【×臥薪×嘗胆】
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