かみのやま温泉とは? わかりやすく解説

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かみのやま温泉

読み方:カミノヤマオンセン(kaminoyamaonsen)

所在 山形県(JR奥羽本線)

駅名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

上山温泉

(かみのやま温泉 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/08 06:12 UTC 版)

上山温泉
名月荘
東北における位置
温泉情報
所在地 山形県上山市
座標 北緯38度10分01秒 東経140度16分24秒 / 北緯38.16697度 東経140.27322度 / 38.16697; 140.27322座標: 北緯38度10分01秒 東経140度16分24秒 / 北緯38.16697度 東経140.27322度 / 38.16697; 140.27322
交通 鉄道:奥羽本線山形新幹線 かみのやま温泉駅下車
泉質 塩化物泉
外部リンク かみのやま温泉
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上山温泉(かみのやまおんせん)は、山形県上山市(旧国出羽国明治以降は羽前国)にある温泉

概要

山形県の温泉統計などの温泉地の名称は「上山(温泉)」であるが[1]、ひらがなの表記「かみのやま温泉」が用いられることも多い[2]。最寄りとなる東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅名も「かみのやま温泉駅」である。

温泉街は歴史上、複数の地区で形成されてきたため、各地区をそれぞれ個々の温泉とみなして上山温泉郷とも表現される。以前は湯町、十日町、新湯、高松、葉山、河崎、金瓶の7地区が存在したが、このうち金瓶地区については温泉利用施設がなくなったため、現在はそれ以外の6地区での構成となっている[注 1][注 2]

温泉街は大きく2つのエリアに分かれる。上山城跡を中心として周囲に湯町、十日町、新湯の3地区が存在するエリアと、市街地の南西端にて高松、葉山、河崎の3地区が存在するエリアである。前者を「上山地区」、後者を「葉山地区」として区別する場合もある。

山形県発行の統計情報「やまがたの温泉2024」において、湧出量は2,537ℓ/分と蔵王温泉に次ぐ県内2位、年度延利用者数は397,257人と県内4位、年度延宿泊利用人数は232,236人と県内2位となっている[1]

古くは山形県鶴岡市湯野浜温泉福島県東山温泉と共に「奥羽三楽郷」に数えられた[2]

泉質

現在使用されている源泉は、上山地区1号源泉、2号源泉、3号源泉、および、葉山地区1号源泉、2号源泉の計5本。温度は63〜69℃で、1978年(昭和53年)から源泉の集中管理が行われている[2][1]

温泉街

温泉街では多数の温泉旅館温泉ホテルが営業している。また、共同浴場日帰り温泉施設足湯も存在する。2023年(令和5年)3月末現在、温泉利用施設数は32である[3]

旅館・ホテル

湯町地区 花明かりの宿月の池、ホテル山内
十日町地区 しまづ旅館
新湯地区 仙渓園月岡ホテル果実の山あづま屋有馬館ステイインホテル材木栄屋はたや旅館、ホテル菊屋
高松地区 三木屋参蒼来
葉山地区 日本の宿古窯葉山舘名月荘はたごの心橋本屋彩花亭時代屋、寒河江屋旅館
河崎地区 ふじや旅館おやど森の音

共同浴場

下大湯共同浴場
二日町共同浴場

7軒の共同浴場が存在したが、一部が閉鎖され、4軒となっている。

  • 下大湯(しもゆ)共同浴場[4]
地元の温泉共同組合によって運営されている[4]1624年開湯。
  • 二日町共同浴場(親子集いの湯)[4]
地元の温泉共同組合によって運営されている[4]
  • 新湯共同浴場(通称澤の湯)[4]
地元の温泉共同組合によって運営されていたが、2020年3月31日に閉鎖(休業)となり、温泉権をNPOに譲渡することが決定された[4]。NPO法人(かみのやまランドバンク)が施設の運営を引き継ぐこととなり、建物を改修して2022年5月29日に営業を再開した。
  • 葉山公衆浴場(寿荘)[4]
上山市老人福祉センター寿荘内にあり、上山市社会福祉協議会が運営している[4]

日帰り温泉施設

湯町地区に「名人のゆ」が存在する。

足湯

5か所に足湯が整備されている(上山城、眉川橋、新湯、湯町、葉山)[2]。また、みゆき会病院の駐車場に私設の足湯が開放されている[5]

かつて存在した旅館・ホテル・共同浴場

閉館した旅館・ホテル

湯町地区 松本屋旅館、山城屋旅館、旅館湯元五助、鶴の湯長十郎旅館、姫の湯伊勢屋、ふぢ金旅館
十日町地区 よねや、長谷屋
新湯地区 ホテル城戸口屋、村尾旅館、ニュー村尾浪漫館
葉山地区 糸屋ホテル、縁起家 まるみ、旅館 三恵、旅館 静山荘
河崎地区 いしやま旅館
金瓶地区 龍王温泉荘

閉鎖された共同浴場
・ 湯町共同浴場:湯町地区。地元の温泉共同組合によって運営されていたが、2016年11月30日に閉鎖[4]
・ 中湯共同浴場(能閑の湯):十日町地区。市営であったが2018年3月31日に閉鎖[4]
・ 新丁温泉共同浴場(鶴の湯):新丁地区。地元の温泉共同組合によって運営されていたが、2024年2月末に閉鎖[6]

歴史

開湯は1458年長禄2年)とされている[2]肥前出身の旅の僧侶・月秀が、温泉で傷を癒しているを発見したとされる。そのため、古くは「鶴脛の湯」の別名があった。

※開湯年については、町人学者の菅沼定昭が明治35年(1902年)に書き留めた見聞記「上山見聞随筆」に記述されており、《鶴脛温泉の草創は長禄2年(1458年)始めて発見す。白禿山は其源にして、山王山の麓に湧出るなり。そのかみ浄光寺開祖月秀和尚、日々鶴の下り来り、足痛にて其の脛をひたし温めしを見て、温泉の湧出ることを知り、初めて開きたるによりて、鶴脛の温泉と名づけし由云伝ふ》とある[7]。ただし、1702年元禄15年)の古文書「羽州上山城下温湯記」においては、温泉の起源について調べ上げたが資料が無く、解明できなかったと記されている。

江戸時代には当地に上山城および上山藩が置かれ、温泉地としてのみならず城下町としても繁栄した。また羽州街道の宿場町としても賑わいを見せた。

江戸時代中期(1737年頃)松平信将が上山藩主の時代に、湯宿の主人たちが「飯盛女」と称する遊女たちを雇って営業する請願書を藩主に提出、一定の伝馬を請け負う条件で許可された。以後、上山の温泉宿は旅籠が増加し歓楽街的に繁盛したとされる。上山三十三観音の一つで、上山市十日町にある湯上観音の境内には、飯森女たちの供養碑が建立されている。

1878年(明治11年)7月にはイザベラ・バードが来訪。『日本奥地紀行』において、外国人が容易に来られる場所であったならば健康的な保養地になるであろうと記し、美しい山形の景観と、湯宿で働く女性たちの優しさなどを紹介した[2]

近代の初期までの温泉街は現在の湯町地区、および十日町地区の周辺のみであったが、大正時代後期から昭和時代の中頃にかけて新湯地区、高松地区、葉山地区、河崎地区、金瓶地区で温泉の掘削が行われ、新たな温泉街が形成された。

周辺

上山市内
上山市外

アクセス

脚注

注釈

  1. ^ 金瓶地区には現在、温泉旅館・ホテルは存在しないが、複数のラブホテルが存在しており、成人であれば、周辺の観光地を訪れるための宿泊地としての利用が可能である。
  2. ^ 上山市内では蔵王坊平地区にも温泉利用施設が存在しているが、そちらは上山温泉郷には含まれない。

出典

  1. ^ a b c 山形県. “山形県の温泉”. 山形県. 2025年1月5日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 山形県上山市 クアオルト推進室. “かみのやま温泉クアオルトスタイル”. 環境省. 2024年2月15日閲覧。
  3. ^ やまがたの温泉”. 山形県環境エネルギー部みどり自然課. 2024年2月15日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j 明海大学 不動産学部 小杉学研究室. “かみのやまランドバンクエリアの取り組み 2018-2022”. 明海大学. 2024年2月15日閲覧。
  5. ^ 足湯「みゆきの湯」”. 社会医療法人みゆき会. 2025年1月5日閲覧。
  6. ^ 今月限り、惜しむ声多く 上山・新丁温泉共同浴場「鶴の湯」”. 山形新聞. 2024年2月15日閲覧。
  7. ^ Sai-Tetu, 投稿者: (2017年1月7日). “上山温泉発見についてのノート・1”. 書肆犀. 2025年6月8日閲覧。

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