かつての最高裁判所機能について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 14:25 UTC 版)
「貴族院 (イギリス)」の記事における「かつての最高裁判所機能について」の解説
2009年まで保持された貴族院の上訴裁判権は、14世紀中に確立されたものである。 貴族院の上訴管轄権は古くはイングランド王国内の裁判所(とりわけ王座裁判所)の上訴に限られていたが、ウェールズやアイルランドの属領化でこれらの地域の裁判所の上訴案件も扱うようになり、さらに1707年のスコットランド統合でスコットランド高等法院(英語版)からの上訴案件も扱うようになった(ただしスコットランド高等法院の上訴は民事のみだった)。アイルランドの上訴管轄権は、1783年に一時アイルランド貴族院へ移管されたものの、1800年のアイルランド統合で結局イギリス貴族院へ戻っている。 上訴裁判権は貴族院の一部ではなく、貴族院全体に属するのが原則であるが、1844年の判例以降、上訴案件を扱う時の貴族院の審議は法律に明るい貴族院議員のみで行う慣例ができた。しかしそうそう法律に明るい貴族院議員がいるわけではないので、1876年には上訴管轄権法が制定され、司法官僚が法服貴族(一代貴族)として貴族院議員に登用されるようになった。 1948年まで上訴案件の審議は、貴族院全体が上訴案件を裁くという形式を重んじて貴族院本会議場で行われていた。しかし戦時中に庶民院本会議場が空襲で焼失し、貴族院本会議場が庶民院の仮議場として使われるようになったのを機に上訴案件審議は委員会室で行われるようになり、1948年5月にはこれを常態化させる形で委員会室を使う事が定められた(「上訴委員会(Appellate Committee)」と呼ばれる)。1960年代には第二上訴委員会も設置され、同時並行で二案件を審議できるようになった。上訴委員会は通常5人の法服貴族(難しい問題では7人)で法廷を構成した。ただし上訴委員会で判決を下すことはできず、上訴委員会は報告を本会議に送り、本会議での採決によって判決が下された。 しかし上院が最高裁判所機能を有するというのは、近代立憲主義の憲法原則とされる権力分立の観点からは問題視され、ヨーロッパ人権条約(第6条で「法律にもとづいて設置された裁判所において独立した公平な裁判を受ける権利が保障される」べきことを要請)をはじめとするEU法体系にも抵触する可能性が高かった。そのためトニー・ブレア政権は2005年に憲法改革法を制定。これに基づいて2009年10月1日をもって貴族院の最高裁判所権能は連合王国最高裁判所に移行することとなった。
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