『笑点』立ち上げとは? わかりやすく解説

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『笑点』立ち上げ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 08:42 UTC 版)

立川談志」の記事における「『笑点』立ち上げ」の解説

1966年5月15日、『笑点』(日本テレビ)が放送開始1969年11月2日まで初代司会者を務める。後に、『笑点放送100回記念放送では桂歌丸異色漫才披露した後年、「『笑点』ってのはよう、アタシ作った傑作なんだよ」と語った通り、『笑点』は談志が自ら企画して実現したのである初代メンバー1人である5代目三遊亭圓楽が『いつみても波瀾万丈』で語ったところによると、談志5代目圓楽に「寄席やっている大喜利テレビでやろうじゃないか」と持ちかけたのが番組開始端緒だという。落語ではなく敢えて大喜利メインとしたのは「落語は(噺の)前後にしかコマーシャル入れられないし、座ってるだけで(テレビに)不向きだから。大喜利なら途中でコマーシャル入れられるから」だったという。談志はまた「大喜利前面に出すのは感心しないが、やらないのも駄目だ」と考えていた。談志1960年代半ばにテレビ・ラジオの電波メディア普及寄席閑古鳥鳴いている状況危機感抱き、「これからは、落語家テレビにもどんどん出て行かなきゃ駄目だ。」 との考えから、テレビ局企画売り込み図ったその結果生まれた番組前身番組の『金曜夜席』で、隔週金曜深夜放送された番組であった当初談志演芸コーナー司会で、5代目圓楽大喜利コーナー司会というローテーションだったが、後にどちらとも談志統一された。前身番組時点で『笑点』の基礎固まりそのまま日曜夕方番組としてスタートしたのである笑点司会では、持ち前ブラックユーモア生かした機知に富んだ掛け合い演じた。しかし視聴率伸び悩み、またこれに伴い初代レギュラー陣との関係も悪化したため、最終的に暫時的な新レギュラー期間を挟んで談志自身降板余儀なくされた。なお、歴代笑点司会者で(就任時点で)落語協会所属していた人物は、現在まで談志のみである。 談志降板後も特別番組時には何度出演したが、2000年代以降は完全に距離を置き、そのまま他界した番組不定期に行われている『真打昇進披露口上』は立川志の輔真打昇進時(1990年6月3日放送)が唯一の出演となったまた、談志初代メンバー一人である歌丸対し、「『笑点』を辞めてくれ」と直言したこともあるという。 一方で、『笑点』の企画自体思い入れがあったためか、2001年 - 2003年頃には『特冊新鮮組』(竹書房隔週刊娯楽雑誌)で「大笑点」という投稿コーナー企画2006年 - 2008年元日日本テレビ放送された『同名番組』とはまったく関係がない。2002年には書籍化)し、2005年10月開始の『談志の遺言』(TBSラジオ番組)には「おれとお前の笑点」という投稿コーナー設けていた(2006年3月一時終了まで存在した同年10月再開時には消滅)。

※この「『笑点』立ち上げ」の解説は、「立川談志」の解説の一部です。
「『笑点』立ち上げ」を含む「立川談志」の記事については、「立川談志」の概要を参照ください。

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