『ラジャ・ハリシュチャンドラ』と監督デビュー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 17:59 UTC 版)
「ダーダーサーハバ・パールケー」の記事における「『ラジャ・ハリシュチャンドラ』と監督デビュー」の解説
詳細は「ラジャ・ハリシュチャンドラ(英語版)」を参照 『ラジャ・ハリシュチャンドラ』 ロンドンから帰国後、パールケーは映画を撮影するための広大な土地を探し始め、パールケー一家はチャルニ・ロード(英語版)のイスマーイール・ビルからダダル(英語版)のマトゥラ・バワン・バンガローに移住した。彼はバンガローの敷地内に小さなガラス部屋を作り、映像を処理するための暗室を準備した。ロンドンで注文した映画製作機器は1912年5月にボンベイに到着し、4日以内に機器の配置を完了した。同時にパールケーは家族に映画製作の技術を教え、カメラと映写機の動作テストのため近隣の子供たちを題材に撮影を行った。撮影結果に満足したパールケーは長編映画製作の資金を集めるため短編映画の製作を決意した。彼は複数のエンドウ豆をポットの上に置き、その前にカメラを設置して1日1フレームを1か月間かけて撮影し、エンドウ豆が成長する姿をカメラに収めた。撮影されたフィルムは『Ankurachi Wadh』(訳:エンドウ豆の成長)として製作され、ヤシュワントラオ・ナドカルニとナラヤーンラオ・デーヴァレはパールケーのために資金を提供した。 パールケーはハリシュチャンドラ(英語版)を長編映画の題材に選び、脚本の執筆を始めた。同時にインドゥ・プラカーシュ(英語版)などの新聞にスタッフ・キャストの募集広告を掲載した。しかし、ヒロイン役に応募する女優がいなかったため、男優がヒロイン役を演じることになった。主人公ハリシュチャンドラ役にはD・D・ダーブケー(英語版)、ヒロインのタラマティ役にはパールケーはアンナ・サルンケーが起用された。ハリシュチャンドラとタラマティの息子ローヒタシュヴァ役には、パールケーの息子バールチャンドラが起用された。パールケーは監督、プロデューサー、脚本、プロダクションデザイン、編集、フィルム処理を担当し、トリンバク・B・テラング(英語版)が撮影監督を務めた。撮影は6か月27日間で終了し、1100メートルのフィルムと4リールを使用した。 1913年4月21日にボンベイのオリンピア・シアターでプレミア上映が行われ、5月3日にコロネイション・シネマトグラフ&ヴァラエティ・ホール(英語版)で公開された。『ラジャ・ハリシュチャンドラ』は興行的な成功を収め、同作はインド映画産業の基礎を築いた。同作は歴史家からインドで最初の長編映画と見なされている。一方で、1912年5月18日に公開された『Shree Pundalik』が最初のインド映画であり、同作の監督ダーダーサーハバ・トールネー(英語版)こそが「インド映画の父」とする意見もある。しかし、同作は22分の短編映画であり、かつ撮影スタッフはイギリス人で映像処理もロンドンで行われているため、『ラジャ・ハリシュチャンドラ』が最初のインド映画とする意見が大勢を占めている。インド政府も『ラジャ・ハリシュチャンドラ』を最初のインド映画に認定している。 『ラジャ・ハリシュチャンドラ』の成功後、パールケーはナーシクに移住した。彼は次回作の題材としてナラ(英語版)とダマヤンティ(英語版)の恋愛物語を選んだ。しかし、プリプロダクション完了後も撮影に進めなかったため、新たにモヒニ(英語版)とバスマスラ(英語版)を題材にした『Mohini Bhasmasur』の製作を開始した。同時期にチッタカルシャク・ナタク・カンパニーがナーシクを訪れ、パールケーは同社社長ナグナスラオ・ゴークレーに同社の女優2人の起用を持ち掛けた。その結果、ドゥルガバーイ・カマト(英語版)がパールヴァティー役、彼女の娘カムラバーイ・ゴーカレー(英語版)がモヒニ役に起用され、母子はインド映画に出演した最初のインド人女優となった。フィルムは995メートル使用され、同作は1914年1月2日にオリンピア・シアターで公開された。また、短編コメディ映画『Pithache Panje』が「サイド・アトラクション」として上映された。その後、パールケーはサヴィトリとサティアヴァン(英語版)を題材にした『Satyavan Savitri』の製作を開始した。1120メートルのフィルムが使用され、同作は1914年6月6日に公開された。これらの作品も『ラジャ・ハリシュチャンドラ』に並ぶ興行的な成功を収めた。
※この「『ラジャ・ハリシュチャンドラ』と監督デビュー」の解説は、「ダーダーサーハバ・パールケー」の解説の一部です。
「『ラジャ・ハリシュチャンドラ』と監督デビュー」を含む「ダーダーサーハバ・パールケー」の記事については、「ダーダーサーハバ・パールケー」の概要を参照ください。
- 『ラジャ・ハリシュチャンドラ』と監督デビューのページへのリンク