『マンデーナイトフットボール』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 03:03 UTC 版)
「ジョン・レノンの殺害」の記事における「『マンデーナイトフットボール』」の解説
ヨーコは病院に対し、自宅にいるショーンに自分で伝えるまでレノンの死をメディアに伝えないよう依頼していた。ヨーコはショーンはおそらくテレビを見ており、父の死をテレビのアナウンスから知ってほしくないと言ったのである[出典無効]。 一方、同日の夕方、ルーズヴェルト病院の救急室で、バイク運転中に事故に巻き込まれたWABC-TVの報道プロデューサー、アラン・J・ワイス(Alan J. Weiss)が治療を待っていた。ワイスは2013年のCNNのシリーズ番組「Crimes of the Century」で、複数の警官が取り囲むようにするなか、レノンが台車つきの担架で救急救命室に運び込まれるところを見たと述べている。ワイスは何が起こったのかを知ると、放送局に電話でこの情報を伝えた。情報はやがて、ABCニュースの社長ルーン・アーリッジ(英語版)の命令系統にも伝わった。 ABCスポーツの社長でもあったアーリッジはその晩、「マンデーナイトフットボール」の総合プロデューサーを務めていた。アーリッジがレノンの死亡という情報を伝えられたときは、ニューイングランド・ペイトリオッツと マイアミ・ドルフィンズの試合が13点の同点で第4クォーター の後半を迎えたところで、ボールを得たペイトリオッツが決勝点を得ようと試みているところであった。アーリッジは、同番組の放送チームであるハワード・コーセル(英語版)とフランク・ギフォード(英語版)にレノンが死去した情報を伝え、テレビの視聴者に伝えることを提案した。 コーセルは1974年にレノンにインタビューしたことがあり、本ニュースを視聴者に伝えることに不安を感じたが、結局彼がニュースを伝えることになった。試合終了まで残すところ30秒からの2人のやりとりは以下の通りである。 コーセル: ... しかし、(試合は)突然、我々にも展開が見えてきました。ここでやめましょう。彼らは攻撃を急いでいます。ギフォード: サードダウン、フォースか。フォアマン(Chuck Foreman)です... やはりフォースダウンのようです。キャヴァノー(Matt Cavanaugh)が最後のトライのために走ります。彼はこれ以上マイアミに機会を与えないよう時間をやり過ごすのでしょう。(ホイッスルが鳴る)残り3秒でタイムアウトです。ジョン・スミス(John Smith)がライン上にいます。でも、誰がライン上にいるかなんて気にしていられません。ハワード、放送席で我々が知った事をあなたは伝えなければ。コーセル: はい、お伝えしなければなりません。誰が勝とうが誰が負けようが、これはただのフットボールの試合だという事を忘れないで下さい。口にするのもはばかられるような悲劇がニューヨークのABCニュースから伝えられました。ビートルズのメンバーの中でも、おそらく最も有名なジョン・レノンが、ニューヨークウェストサイド・マンハッタンの集合住宅の外で背後から2発の銃撃を受け、ルーズヴェルト病院に搬送されましたが、到着と同時に死亡が確認されたという事です。こんなニュース速報の後に試合に戻るなんてことはとてもできません。たとえそれが我々の仕事だとしても、そうでしょうフランク?ギフォード: (しばらく間が空き)全く、その通りです。
※この「『マンデーナイトフットボール』」の解説は、「ジョン・レノンの殺害」の解説の一部です。
「『マンデーナイトフットボール』」を含む「ジョン・レノンの殺害」の記事については、「ジョン・レノンの殺害」の概要を参照ください。
- 『マンデーナイトフットボール』のページへのリンク