『よい戦争』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:49 UTC 版)
特に1970年代以降のアメリカでは、世界にアメリカの敗北と認識され、アメリカが世界から反感をもたれるきっかけとなったベトナム戦争との対比で、第二次世界大戦を「よい」戦争 (good war) とみる風潮が広まった。「民主主義対ファシズム」の勧善懲悪の単純な構図でアメリカが前者を守る正義を行ったとみる。この動きを多数の大衆インタビューにより、スタッズ・ターケルは『よい戦争 (The Good War)』としてまとめた。この本はその後ピューリッツァー賞を受賞した。 戦後の冷戦構造の中でのアメリカは、ソビエト連邦の動きに対抗すべく「反共産主義的」であるとの理由で、チリやボリビアなどの中南米諸国や、フィリピンや南ベトナムなどをはじめとするアジア諸国の軍事独裁政権を支援した。結果としてアメリカは1991年のソビエト崩壊により冷戦を勝ち抜いたが、経済面では西欧やアジアの発展の前に多極化が進んでおり、すでに1950年代のような絶対的な覇者とはいえない状況となった。 戦争で日本からの被害を受けたハワイ州とオレゴン州、カリフォルニア州を除き、国土と生産設備の大半を戦災から免れたアメリカは、軍事外交および経済力において突出した存在となったが、東欧・アジア・中米での共産勢力との戦いや中東での戦いなど、常に共産陣営やイスラム教徒らとの戦いの当事者であることを求め続けられ、国民は献身を求められ続けた。 また、日本の占領政策は事実上アメリカとイギリスが連合国を代表して決定された。政策の内容は、当初はGHQ内部の民生局が主導する民主化優先のものであった。しかし、民生局に変わり参謀第二部が占領政策決定の主導権を握るようになると一変し、戦犯指定を受けた岸信介や児玉誉士夫らの釈放・警察予備隊の編成など保守的性格を強めた。また、これらは日本国内の社会党や共産党などの、ソ連や中華人民共和国から物理的、金銭的支援を受けた陣営に強く批判されることとなった(逆コース)。
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