「胃の中の細菌」を巡る論争
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「ヘリコバクター・ピロリ」の記事における「「胃の中の細菌」を巡る論争」の解説
1874年、ドイツの研究者がヒトの胃に存在しているらせん状の細菌を発見し顕微鏡で観察したのがヘリコバクターの最初の報告であると言われているが、詳細な記録は残っていない。残っている最初の正式な記録は、1892年に、イタリアの研究者ジュリオ・ビツォツェロ (Giulio Bizzozero) がイヌの胃内の酸性環境で生息する細菌について著したものである。その後、1899年、ポーランドの研究者ヴァレリ・ヤヴォルスキ (Walery Jaworski) がヒトの胃からグラム陰性桿菌とともにらせん菌を見いだし、彼はこの菌をVibrio rugulaと名付け、胃疾患との関連について、ポーランド語で書かれた著書の中で提唱した。 その後20世紀に入って、1906年にはKrienitzらが胃癌患者の胃粘膜にらせん菌がいることを、1920年代にはLuckらが胃粘膜に(ヘリコバクター・ピロリに由来する)ウレアーゼの酵素活性があることを、1940年には、FreedbergとBarronが胃の切除標本の約3分の1にらせん菌が存在することを、相次いで報告し、「胃の中の細菌」の存在と胃疾患との関連に対する医学研究者らの関心が徐々に高まっていった。 しかし、この説に対して異を唱える研究者も多く存在した。19世紀当時、細菌学はロベルト・コッホらの活躍によって隆盛を極めていたが、当時行われていた培養法では、この「胃の中の細菌」を分離培養できず、生きた菌の存在を直接証明できなかったためである。また細菌学の黎明期にはコレラ菌やチフス菌など、多くの消化管感染症の原因菌が研究されたが、胃は胃酸による殺菌作用によって、これらの細菌感染に対する防御機構としての役割を果たすと考えられており、このこともしばしば反対派の論拠として挙げられた。胃で全ての菌が死滅するわけではないものの、そこは生命にとって劣悪な環境であり、細菌は生息できないと考えられていたのである。 そして1954年、アメリカの病理学者で消化器病学の大家であった、エディ・パルマー (Eddy D Palmer) が、1000を超える胃の生検標本について検討した結果、らせん菌が発見できなかったと報告し、Freedberg らの報告は誤りであると主張した。この報告によって、それまで報告されてきたらせん菌は、何らかの雑菌混入によるものだったのではないかという考えが主流になり、一部の医学研究者を除いて、「胃の中の細菌」に対する研究者の関心は薄れていった。
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