「胃の中の細菌」を巡る論争とは? わかりやすく解説

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「胃の中の細菌」を巡る論争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 04:22 UTC 版)

ヘリコバクター・ピロリ」の記事における「「胃の中の細菌」を巡る論争」の解説

1874年ドイツ研究者ヒトの胃に存在しているらせん状の細菌発見し顕微鏡観察したのがヘリコバクター最初報告であると言われているが、詳細な記録残っていない。残っている最初正式な記録は、1892年に、イタリア研究者ジュリオ・ビツォツェロ (Giulio Bizzozero) がイヌ胃内酸性環境生息する細菌について著したのであるその後1899年ポーランド研究者ヴァレリ・ヤヴォルスキ (Walery Jaworski) がヒトの胃からグラム陰性桿菌とともにらせんを見いだし、彼はこのVibrio rugulaと名付け、胃疾患との関連について、ポーランド語書かれ著書の中で提唱したその後20世紀入って1906年にはKrienitzらが胃癌患者胃粘膜にらせんがいることを、1920年代にはLuckらが胃粘膜に(ヘリコバクター・ピロリ由来するウレアーゼ酵素活性があることを、1940年には、FreedbergとBarronが胃の切除標本の約3分の1にらせん存在することを、相次いで報告し、「胃の中の細菌」の存在と胃疾患との関連対す医学研究者らの関心徐々に高まっていった。 しかし、この説に対して異を唱える研究者多く存在した19世紀当時細菌学ロベルト・コッホらの活躍によって隆盛極めていたが、当時行われていた培養法では、この「胃の中の細菌」を分離培養できず、生きた存在直接証明できなかったためである。また細菌学黎明期にはコレラ菌チフス菌など、多く消化管感染症原因菌研究されたが、胃は胃酸による殺菌作用によって、これらの細菌感染対す防御機構としての役割を果たす考えられており、このこともしばしば反対派論拠として挙げられた。胃で全ての死滅するわけではないものの、そこは生命にとって劣悪な環境であり、細菌生息できない考えられていたのである。 そして1954年アメリカ病理学者消化器病学大家であった、エディ・パルマー (Eddy D Palmer) が、1000超える胃の生検標本について検討した結果、らせん発見できなかったと報告し、Freedberg らの報告誤りであると主張した。この報告によって、それまで報告されてきたらせんは、何らかの雑菌混入よるものだったのではないかという考え主流になり、一部医学研究者を除いて、「胃の中の細菌」に対す研究者関心薄れていった。

※この「「胃の中の細菌」を巡る論争」の解説は、「ヘリコバクター・ピロリ」の解説の一部です。
「「胃の中の細菌」を巡る論争」を含む「ヘリコバクター・ピロリ」の記事については、「ヘリコバクター・ピロリ」の概要を参照ください。

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