「最古の業者」を巡る対立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 03:34 UTC 版)
聖護院八ツ橋総本店と本家西尾八ッ橋はともに、創業について『京の華』の記述に近い「1689年(元禄2年)に聖護院の森で菓子を発売した」という点で共通しているが、これには両社の設立経緯が関係している。「聖護院八ツ橋総本店」は西尾為治が個人で営んでいた和菓子店・玄鶴堂を1926年(大正15年)に法人化して誕生したものだが、設立まもなく経営危機に陥ったため1930年(昭和5年)に西尾為治個人の破産が確定し、当時の商法の規定に従って経営権は専務であった鈴鹿太郎に引き継がれた。設立に際して事業に関わる全てを現物出資していた西尾為治は個人資産を全て失ったと考えられ、また息子の西尾為一も聖護院八ツ橋総本店に残留することができなかった。 西尾為一は1947年(昭和22年)に個人で八ツ橋の製造販売を再開し、後に「本家西尾八ッ橋」の基となる和菓子店を開店する。この和菓子店は1952年(昭和27年)に「本家八ッ橋聖護院西尾」を名乗って法人化するが、『聖護院』を名乗り『創業二百六十余年』『本家八ッ橋』といった文言を宣伝に用いたことで聖護院八ツ橋総本店から提訴される。1959年(昭和34年)に西尾側が『聖護院』などを使用しないことで和解が成立し、社名からも「聖護院」を削除して今の社名となった。法廷で事実上「西尾為治の継承者は聖護院八ツ橋総本店」が認められた形であったが、1969年(昭和44年)に京都府が『100年以上続く老舗業者』を表彰した際に「最古の八ツ橋業者」として本家西尾八ッ橋が表彰を受けた。これを不服とした聖護院八ツ橋総本店は、表彰されるべきは自社である主張を記した「聖護院文書」と題した冊子を同業他社に配布するに至った。 なお、西尾為治をルーツとする業者は他に、為治の次男・西尾為忠が構えた「八ッ橋西尾為忠商店」、三男・西村源太郎が構えた「本家八ッ橋」が存在している。このうち少なくとも本家八ッ橋は本家西尾八ッ橋と同じ創業地・創業年を掲げているが、本家西尾八ッ橋が「為治の祖先」としている創業者について、本家八ッ橋は「西村彦左衛門」と具体的な名前を挙げている。なお、「西村」姓は西尾松太郎の旧姓である。
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