「最後のコンキスタドール」
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「フニペロ・セラ」の記事における「「最後のコンキスタドール」」の解説
セラと同じフランシスコ会の司祭であり、作家であるアングルベール・オマール(フランス語版)は、その著書であるセラの伝記でセラ神父を、南北アメリカで数100万人のインディアン民族を大量虐殺した一連のスペイン人による征服行為の歴史の中の、「最後のコンキスタドール」と称している。 1769年にフランシスコ会の「ミッション」が設立されてから、1845年までに、カリフォルニアのインディアンの人口は、4分の1まで減少した。セラが敷いたカリフォルニアのインディアンたちの奴隷化は、アメリカ合衆国によって受け継がれ、インディアンの少年少女が好んで売買された。ニューオーリンズの綿仲介人はカリフォルニアのインディアンについて、「スペイン人は南部の黒人と同じくらい従順で控え目な奴隷に仕立て上げた」と書き、1846年にある白人牧場主は、カリフォルニアのインディアンたちが「黒人よりも、よりへりくだって鞭打たれる」ことをあげ、「彼らは奴隷として黒人よりさらに使いよい」と述べている。 1980年代になって、ローマ教会はこのセラ神父を「聖人」に加える予定であると発表した。これに猛反発したのは、セラによる虐殺を生き延びたカリフォルニアのインディアンたちだった。その中の一人であるルパート・コストは、1987年に妻と共に『The Missions of California : a legacy of genocide』を発表。セラの残虐行為の詳細を丹念な分析で追ったこの書籍は、ローマ教会を慌てさせた。結果、ローマ教会は翌年にセラを列福はしたが、「聖人」への列聖は長い間見送られたままだった。ローマ教皇フランシスコが初めてアメリカ合衆国を訪問した時の2015年9月23日、フニペロ・セラを列聖に加えた。
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