「市ヶ谷台」「相武台」「修武台」「振武台」とは? わかりやすく解説

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「市ヶ谷台」・「相武台」・「修武台」・「振武台」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 10:24 UTC 版)

陸軍士官学校 (日本)」の記事における「「市ヶ谷台」・「相武台」・「修武台」・「振武台」」の解説

学校住所は、長らく本科予科共に東京の「市ヶ谷台」に所在していたが、1937年本科陸士)は神奈川県座間へ(航士は埼玉県入間設置)、予科(予士)は1941年昭和16年)に埼玉県朝霞それぞれ移転している。陸士自体通称でもあった「市ヶ谷台」の名に倣い座間移転後陸士には「相武台」、入間新設の航士には「修武台朝霞移転後の予士には「振武台」の名が、それぞれ当時大元帥たる昭和天皇から与えられている。陸士生徒・学生指して台上の人」という呼称はこれに由来する。この慣習陸士以外の将校および将校候補者養成学校にも取り入れられ陸軍経理学校の「若松台」、東京陸軍幼年学校の「健武台」、仙台陸軍幼年学校三神峯台」、名古屋陸軍幼年学校の「観武台」、大阪陸軍幼年学校の「千代田台」、広島陸軍幼年学校の「鯉城台」、熊本陸軍幼年学校の「清水台」、および満州帝国陸軍軍官学校の「同徳台」がある。 陸士・予士が去った市ヶ谷台には陸軍省参謀本部教育総監部陸軍航空総監部といった「省部」が三宅坂から移転し帝国陸軍中枢となった市ヶ谷台敗戦後アメリカ軍による接収経て陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地海上自衛隊市ヶ谷地区航空自衛隊市ヶ谷基地となり、東部方面総監部統合幕僚学校陸海空幹部学校などを配置2000年平成12年5月には防衛庁(現防衛省本庁檜町地区から移転現在の市ヶ谷台防衛省統合幕僚監部陸上幕僚監部海上幕僚監部航空幕僚監部などが所在する日本国防中枢となっている(防衛省市ヶ谷地区)。相武台座間陸士)はアメリカ陸軍キャンプ座間一部および陸上自衛隊座間駐屯地振武台朝霞の予士)はアメリカ陸軍キャンプ・ドレイク経て陸上自衛隊朝霞駐屯地修武台入間の航士)はアメリカ空軍ジョンソン基地経て航空自衛隊入間基地である。このほか、予備士官学校であるが久留米第一陸軍予備士官学校跡地陸上自衛隊幹部候補生学校前川原駐屯地となっている。 なお、神奈川県座間市同県相模原市南区に残る地名である「相武台」は、文字通り座間時代陸士の賜名が由来である。また、小田急電鉄小田原線相武台前駅」および、東日本旅客鉄道JR東日本相模線相武台下駅」の両駅名も同様である。

※この「「市ヶ谷台」・「相武台」・「修武台」・「振武台」」の解説は、「陸軍士官学校 (日本)」の解説の一部です。
「「市ヶ谷台」・「相武台」・「修武台」・「振武台」」を含む「陸軍士官学校 (日本)」の記事については、「陸軍士官学校 (日本)」の概要を参照ください。

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