「大ルーマニア」の成立と社会主義政権の成立
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「ルーマニアの歴史」の記事における「「大ルーマニア」の成立と社会主義政権の成立」の解説
詳細は「第二次世界大戦下のルーマニア」を参照 第一次世界大戦では1916年8月27日に連合国側で参戦した。ルーマニア軍はトランシルヴァニア地方の併合を目指してオーストリアに進撃したものの、旧態依然とした体質と敵ドイツ軍のエーリッヒ・フォン・ファルケンハイン、アウグスト・フォン・マッケンゼンらの奮戦により、開戦からたった3ヶ月後の1916年12月6日に首都ブカレストを陥落させられた。休戦後の1918年12月1日には、ブコヴィナ、トランシルバニア、ドブロジャ、ベッサラビアを獲得し、大ルーマニアを実現させた。 第二次世界大戦では、独ソ不可侵条約を受けてホルティ政権下のハンガリーがトランシルバニアに進駐。また、スターリンのソ連もルーマニアに侵入し、ベッサラビアとブコヴィナを占領した。このような領土喪失に無為だった国王カロル2世に国民の不満は高まり、王政廃止の原因となる。その後、ルーマニアはファシズム団体鉄衛団が政権獲得後枢軸国について戦ったが、ソ連軍侵攻により、1944年に政変が起こり連合国につき(1944年のルーマニア革命)、ナチス・ドイツと戦端を開いた。戦後、ベッサラビアとブコヴィナをソ連に奪われ、ソ連軍の圧力の下、1947年の12月30日に人民政府が成立。王政は廃止され、ルーマニア人民共和国となった。
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