「大交響曲」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 03:53 UTC 版)
「八重奏曲 (シューベルト)」の記事における「「大交響曲」」の解説
本作が作曲された頃の1824年に、シューベルトは友人達に、新作の「大交響曲」に取り組んでいると告げている。現存する限りで当時のシューベルトの作品に、「交響曲」と呼びうる妥当な作品は見当たらないことから、本作や《グラン・デュオ ハ長調(英語版)》D812こそが、1824年にシューベルトが「大交響曲」と呼んだ作品であり、その別稿だったのかもしれないと推測された。《八重奏曲》も《グラン・デュオ》もそれ自体としては「完成」されているものの、どちらも類がないほど「シンフォニックな」性格である。シューベルトは交響楽として作曲したのではなかったが、かなり早い段階で交響楽としてのスケッチを放棄したのではなかったかとも想定された。事実かつては、この次の交響曲(いわゆる「未完成交響曲」)を多くの研究者が「第8番」と数え、1824年の交響曲(時に「グムンデン・ガスタイン交響曲」とも呼ばれている)の総譜の発見に希望を寄せていたのである。 この番号付けは、曲としては完成されていながら、部分的にしかオーケストレーションがなされなかった《交響曲ホ長調》D729を排除したものである(なお、ウィキペディア日本語版では国際シューベルト協会に倣い、《未完成交響曲》を「第7」、《大ハ長調交響曲》を「第8」としている)。 現在では、シューベルトが言及していたのは《大ハ長調交響曲》についてであることが分かっている。シューベルトは、1824年3月31日に友人レオポルト・クペルヴァイザーに宛てた手紙の中で、「既に《八重奏曲》を完成させており」「同じような流儀で大交響曲に向かって歩き出すつもりだ」ときっぱりと言い切っているからである。つまりこの発言は、この2作品が「壮大な」発想によっているという点を除けば、互いに関係ないということを言い切っているように見受けられる。
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