「坂路コース」問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 11:01 UTC 版)
「美浦トレーニングセンター」の記事における「「坂路コース」問題」の解説
関東馬低迷の最大の要因として「坂路コース」問題が挙げられる。 1985年に栗東トレーニングセンターに坂路コースが設置された。調教ノウハウの確立と共に、坂路で鍛えられた関西馬たちが東京・中山など東日本開催の競馬で活躍したことで、坂路コースが競走馬の強化に効果があると言われるようになった。そのため、美浦の厩舎関係者もその効果を求め、坂路コース設置を要望し始めた。しかし、美浦トレセンは関東平野東部のほとんど平坦な土地に立地していたこともあり、そのまま坂路コースを設置できるような自然の丘や地形がなかった。また、開場から10年超を経て敷地内や周辺地の利用・開発が進められており、ほぼ直線の坂路コースを設置する空間もなかった。大規模な工事が必要になることから、JRAはこの要望について「検討中」としながらも、実際には消極的な姿勢を数年間に渡って取り続けた。当時は折しもオグリキャップと当時台頭した武豊に牽引された中央競馬ブームの真っ只中であり、JRAにとっては座していても売り上げが伸びてゆく時代であった。 しかし1990年代に入り、美浦所属馬の不振が競馬マスコミやスポーツ新聞などにより幾度となくクローズアップされる様になると、その原因として栗東にしかない坂路コースが象徴的存在となった。 1993年に南コース側の一角に坂路コースが完成し、2004年には坂路コースの改修と拡張が行われた。しかし、栗東の坂路コースと比べれば勾配の規模が小さいのは相変わらずで、民間の大手牧場や育成牧場が設置した坂路コースにも美浦トレセンの坂路コースを大きく凌駕する規模のものが現れている。 坂路コースは主に競走馬の足腰に筋肉とパワーを付けさせる目的で用いられることが多いが、実際、パワーが重要視されるダート戦における東西の不均衡の差は著しく、たとえば2010年・2011年にJRAで開催されたダート重賞全17戦の優勝馬の東西の比率を見ると、いずれも美浦所属馬1勝に対して栗東所属馬16勝という状態であり、特にJRA所属馬の出走頭数が限られる地方競馬開催のダートグレード競走では、層が厚く獲得賞金順でも上位に立つ栗東所属馬の前に美浦所属馬が悉く除外対象となり出走できない状況も多々見られる。この様に、ダート戦線においては上位クラスになるほど栗東トレセンの優位性が際立つ状況になっている。 この様に、坂路コースは設置されたとはいえ、設置までの8年もの時間差とコース規模の差が美浦と栗東の格差を固定化させたと指摘する競馬関係者や競馬マスコミは多く、20年以上も水をあけられたままの結果となっている。しかし、美浦トレセンの坂路のさらなる拡張や勾配の拡大といった手法は、土地利用面の問題から限界で事実上不可能であるともされる。
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