「坂田」か「阪田」か
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/12/27 05:11 UTC 版)
「坂田三吉 (棋士)」の記事における「「坂田」か「阪田」か」の解説
三吉の苗字については、2種類の表記が混在している。三吉自身、漢字の読み書きがほとんどできなかったため、表記の訂正などを行わなかったようである。以下では、存命当時にどのような表記が用いられるのかを示す。 「坂田」の表記が用いられたものは以下の通りである。 1872年の戸籍 生家の表札 免状(俳人である中山眉山や書道家である北野千里の代筆) 三吉名義の著書 サイン(代筆の可能性あり) 毎日新聞 1919年以降の朝日新聞 「阪田」の表記が用いられたものは以下の通りである。 1916年の戸籍(いつどのような理由で「坂田」から変更されたのかは不明) 墓石 1918年以前の朝日新聞 死後、新聞などでも新戸籍に準拠して「阪田」へと表記を改める例があるが、小説やドラマなどでは当時の表記に基づいて「坂田」とすることが多い。
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「坂田」か「阪田」か
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 07:46 UTC 版)
三吉の苗字については、つちへんの「坂田」とこざとへんの「阪田」という2種類の表記が混在している(「阪」は「坂」の異字体)。このような複雑な事情が生じた経緯はおおむね以下の通りである。 三吉の存命中は表札、免状の署名(俳人である中山眉山や書道家である北野千里の代筆)、著書の名義(代筆)、新聞の記載などいずれも主に「坂田」と表記されていた。三吉本人も指導対局を行った際の謝礼の領収書には「坂」の一文字でサインをしていた。しかし、少数ながら「阪田」と表記する例も存在し、当時から表記揺れがあった。 三吉の死後に観戦記者・東公平の調査によって三吉死亡時の戸籍が「阪田」になっていることが判明した。もっとも、1872年編纂の戸籍では「坂田」となっており、1916年に編纂された戸籍で何らかの理由により「阪田」に改められたものであった(改名の理由は不明)。三吉の娘によると、三吉は漢字の読み書きがほとんどできなかったため、「坂」と「阪」の違いがよく分かっていなかったが、最終的に戸籍上の本名が「阪田」となったのは間違いないとのことであった。 現在では、存命時の表記に準拠して「坂田」とする場合と、死亡時の戸籍に準拠して「阪田」とする場合と、どちらも見られる。
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