坂田三吉 (棋士)
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坂田 三吉(さかた さんきち、1870年7月1日(明治3年6月3日) - 1946年(昭和21年)7月23日)は、明治から昭和初期にかけて活動した将棋棋士。贈名人・王将。堺県大鳥郡舳松村字塩穴(現在の大阪府堺市堺区協和町)出身。「阪」の字を使って阪田三吉の表記あり(後述)。「吉」の正確な表記は「」(「土」の下に「口」、つちよし)。[1]。
- ^ 舳松人権歴史館 阪田三吉記念室(2011年12月22日確認)では、「」(つちよし)の表記を採用し、名前表記はすべて画像化したテキストを用いている。Unicodeでは U+20BB7、「𠮷」。
- ^ 三吉の曾孫の証言
- ^ 岡本嗣郎「9四歩の謎 孤高の棋士・坂田三吉伝」
- ^ 岡本嗣郎「9四歩の謎 孤高の棋士・坂田三吉伝」では、さらにそれに加え、坂田自身に魅力があったことと、京阪神の財界有力者達の東京に対する対抗意識がそうさせたのではないか、との推論を述べている
- ^ NHK BS2 2005年1月24日放映「THE・少女マンガ! 作者が語る名作の秘密 第一夜『ガラスの仮面』」で作者の美内すずえは子供の頃に観た三國連太郎主演の『王将』(監督:伊藤大輔 1962年 東映)の坂田三吉に刺激を受け、一芸に秀でているが他のことは何も出来ない主人公を描こうと思ったと語っている。
- ^ 「将棋世界」2007年10月号、120-121ページ、「女流棋士勉強会 “将棋界の発展の歴史”を西條耕一氏が講義」参照。
- ^ 岡本嗣郎「9四歩の謎 孤高の棋士・坂田三吉伝」
- ^ a b c 上原善広『異形の日本人』p.146(新潮新書、2010年)
- ^ 棋譜は近代将棋昭和25年8月号等を参照
- 1 坂田三吉 (棋士)とは
- 2 坂田三吉 (棋士)の概要
- 3 後継者たち
- 4 南禅寺の決戦
- 5 坂田三吉の妻
- 6 参考文献
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