坂田九十百とは? わかりやすく解説

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坂田九十百

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/12 13:28 UTC 版)

坂田 九十百(さかた つくも、1898年明治31年〉11月1日[1] - 1983年昭和58年〉6月13日[1])は、日本政治家。福岡県田川市長を務めた[2]

略歴

福岡県鞍手郡西川村(現・福岡県鞍手町)生まれ。1943年(昭和18年)から田川市市議1955年(昭和30年)から1979年(昭和54年)まで6期24年田川市長をつとめた。炭鉱閉山ラッシュの田川市や筑豊地区(市長就任時筑豊に246を数えた炭鉱は任期中全滅)で活躍し、産炭地振興に尽力、産炭地域振興臨時措置法などにかかわる。

また、1960年代後半に結成された全国革新市長会に参加し、1969年には在日朝鮮人から請求を受けていた朝鮮籍への変更申請を認めるなどの活動も行った[3]

市長退職後は退職金と功労金を全て寄付し、奨学金支給事業を運営することとなった[4]1979年(昭和54年)田川市名誉市民

脚注

  1. ^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、394頁。
  2. ^ 『炭鉱最後の田川市長坂田九十百という男』宮田昭・著 書肆侃侃房
  3. ^ 朝鮮籍への変更申請 さらに五市認める『朝日新聞』1970年(昭和45年)9月3日朝刊 12版 2面
  4. ^ 設立経緯坂田育英会

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