「入浴する智子と母」公開是非をめぐる議論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 00:19 UTC 版)
「ユージン・スミス」の記事における「「入浴する智子と母」公開是非をめぐる議論」の解説
スミス夫妻が水俣へ移住した年の1971年12月に撮影された、胎児性水俣病の少女・上村智子(1956年 - 1977年)を母親が抱いて入浴させている写真「入浴する智子と母(Tomoko and Mother in the Bath)」は、ユージンの『水俣』の写真の中でも特に名高い1枚として知られる。やはり水俣病患者を撮り続けて来た桑原史成が、“私には撮れないショットだ”と白旗を揚げた一枚でもある。ユージンはアイリーンとの連名で、『ライフ』1972年6月2日号に「Death–Flow from a Pipe: Mercury Pollution Ravages a Japanese Village」(排水管からたれながされる死 ―水銀中毒が日本の村を破壊する―)と題するフォトエッセイを寄稿。「入浴する智子と母」はこのときに初めて公表された。 「ピエタ」を思わせる構図の母子像は、写真展や水俣病についての書籍でもたびたび紹介されてきたが、遺族である両親とアイリーンの話し合いにより、1998年6月、「アイリーン・アーカイブ」では今後は同写真の使用を許諾しない方針であることが発表された。このため、ユージン生誕100周年を記念して2017年11月25日から2018年1月28日まで東京都写真美術館で開催された「生誕100年 ユージン・スミス展」でもこの有名な写真は展示されることはなかった。 この「封印」に対しては、写真家や美術館関係者などから様々な意見があり、当該写真を所蔵する 清里フォトアートミュージアム の広報担当者は「自分はこの1枚に出会って水俣病や現代の世界につながる環境問題に関心を持つきっかけとなったので、ぜひ多くの人に見てほしい」と語り、同館の学芸員は「この件は国際会議でも話題になっており、海外の所蔵館の中には展示できなくなるのなら購入費用を弁済してほしいという声もある」と述べた。また同館館長の細江英公は「日本の著作権法では著作者の許諾に関係なく、美術品などの現所有者は作品の展示ができるし、教科書に掲載することも可能である」と指摘した。 また水俣でスミス夫妻と寝食を共にしながら、ユージンの助手を務めた石川武志は「(写真が)封印されたことがすごく残念だ。普遍性をもつこの母子像は人類にとって失ってはならない芸術作品だ。ユージンが生きていたら展示や掲載を望むと思う」と語り、アイリーンによるこの「封印」に強く反対した。 映画『MINAMATA-ミナマタ-』では「封印」された「入浴する智子と母」が使用されており、アイリーンは映画を見た後で「この写真を大切にするなら今何をするべきかと考えた時、『本物の写真を見せることだ』という結論」に達したと述べ、再刊する写真集で「入浴する智子と母」を含めた、上村智子の写った写真を掲載する意向を示した。
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