「入江ぷろ」の創設
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1932年(昭和7年)、新興キネマと提携して映画製作会社入江ぷろだくしょんを創立。当時、阪東妻三郎などスター男優が次々と独立プロダクションを作っていたが、女優の独立プロも現代劇の独立プロも「入江ぷろ」が初めてであった。この時代、入江たか子は日本映画界最高の位置にあった。その第1作は溝口健二監督、中野英治共演による『満蒙建国の黎明』だった。この作品は満州建国を背景に川島芳子からヒントを得た超大作で海外ロケを行い、半年の製作日数をかけた大々的なものだった。 この後、日活の俳優、田村道美と結婚し、のちに田村はたか子のマネージャー・プロデューサーとなる。田村が自らの人気を考えて結婚を公表せず、籍も入れない別居生活であったため、兄の恭長は田村を嫌い、映画界を辞める。結婚10年後に子供が生まれ、これを機に法的にも結婚する。 1933年(昭和8年)、泉鏡花の名作『滝の白糸』をまた溝口監督で撮り、大好評となる。ところが、溝口は一女優の入江ぷろだくしょん作品の監督ということに屈辱を感じていたため、強引に実体のない名前だけの「溝口プロダクション」という名前をその横に列記させてもらい体面を保っていた。 続いて、サナトリウム(療養所)に勤務する美貌の看護師を演じた、久米正雄原作の『月よりの使者』が空前の大ヒットとなる。1935年(昭和10年)頃は人気の絶頂にあり、この年のマルベル堂プロマイドの売り上げでは、1位が入江たか子、2位が田中絹代であった。しかし、1937年(昭和12年)に吉屋信子の人気小説を映画化した『良人の貞操』のヒットを限りに「入江ぷろだくしょん」は解散、東宝と契約。
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