「入江ぷろ」の創設とは? わかりやすく解説

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「入江ぷろ」の創設

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 00:08 UTC 版)

入江たか子」の記事における「「入江ぷろ」の創設」の解説

1932年昭和7年)、新興キネマ提携して映画製作会社入江ぷろだくしょん創立当時阪東妻三郎などスター男優次々と独立プロダクション作っていたが、女優独立プロ現代劇独立プロも「入江ぷろ」が初めであった。この時代入江たか子日本映画界最高の位置にあった。その第1作溝口健二監督中野英治共演による『満蒙建国黎明』だった。この作品満州建国背景川島芳子からヒント得た超大作海外ロケ行い半年の製作日数をかけた大々的なものだったこの後日活俳優田村道美結婚し、のちに田村はたか子のマネージャー・プロデューサーとなる。田村が自らの人気考えて結婚公表せず、籍も入れない別居生活であったため、兄の恭長は田村を嫌い、映画界辞める結婚10年後に子供生まれこれを機に法的に結婚する1933年昭和8年)、泉鏡花名作滝の白糸』をまた溝口監督撮り大好評となる。ところが、溝口一女優の入江ぷろだくしょん作品監督ということ屈辱感じていたため、強引に実体のない名前だけの「溝口プロダクション」という名前をその横に列記させてもらい体面保っていた。 続いてサナトリウム療養所)に勤務する美貌看護師演じた久米正雄原作の『月よりの使者』が空前大ヒットとなる。1935年昭和10年)頃は人気絶頂にあり、この年マルベル堂プロマイド売り上げでは、1位が入江たか子2位田中絹代であった。しかし、1937年昭和12年)に吉屋信子人気小説映画化した良人の貞操』のヒット限りに「入江ぷろだくしょん」は解散東宝契約

※この「「入江ぷろ」の創設」の解説は、「入江たか子」の解説の一部です。
「「入江ぷろ」の創設」を含む「入江たか子」の記事については、「入江たか子」の概要を参照ください。

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