「仙台経済圏の拡大」と「仙台一極集中」
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「東北地方の経済史」の記事における「「仙台経済圏の拡大」と「仙台一極集中」」の解説
この時期の東北地方では、既に百貨店の閉鎖が相次いでいたため、仙台市以外で高級品販売店は数を数える程しかなくなっていた。他の七大都市圏では、90年代半ばの円高期を境にアウトレットモールが郊外の交通の要衝などに次々設置されて、新たな高級品販売店となったが、仙台都市圏のみならず東北地方ではその時代に設置されず、仙台空港発着の香港便やホノルル便が現地の免税店でのブランド品買出しの足として使われた(2003年のSARS発生まで→仙台空港#かつての定期就航路線・国際線)。2002年になって仙台宮城IC近くに唯一小規模なものが出来たが、高級ブランドのアウトレットモールではない。 2000年代(特にSARS発生で香港便とホノルル便が廃止になった2003年)になると、どうにか生き延びていた仙台市の高級品販売店やセレクトショップなどに、東北地方各地、特に南東北3県の各地から買物客が集まるようになってきた。それに上述の陸上交通の再編が加わり、仙台経済圏は急激に拡大して行く結果となった。 仙台経済圏の拡大は、更に高級小売商品の種類の拡充を可能にして、仙台市の中心部商業地である一番町の「海外ブランド街化」、および、仙台駅西口の大型店への「国内ブランド集積」を進め、更に仙台市への一極集中が助長された。仙台市都心部でのブランド品路線の成功は、都心の地価下落による出店コストの低下、高級品アウトレットモールが東北地方になかったこと、SARSによる仙台空港発着国際線が廃止になったことが幸いしている。 また、コンサートにおいて、1000-2000席のホールコンサートから、万単位への巨大化(大規模野外または大体育館など)と、百単位への縮小化(ライブハウスなど)が発生し、更にツアー開催地を限定する動きが出てくると、東北地方では仙台・郡山・盛岡にツアー開催地が集約し、特に陸上交通の再編と「箱」の分化・リサイジングが進んでいた仙台での開催が突出するようになった。仙台でのコンサート開催情報は、周辺各県で販売されているタウン情報誌のイベント欄の多くを占め、さらに周辺各県のFM局やテレビでも告知され、仙台経済圏拡大を促進することになった(→楽都仙台)。 このような仙台一極集中と仙台経済圏の拡大のため、仙台市に近い地方都市(石巻市、相馬市など)や隣県の県庁所在地(山形市、福島市)は、仙台市への依存度を高め、小売商圏としての仙台経済圏は、宮城県内は元より、仙台市から100km圏(山形県村山地方、福島県浜通り北部・中通り北部、岩手県南部)に広がった。また、仙台が提供する都市コンテンツの増加・多様化によって、仙台市都心部での滞在時間延長、あるいは更なる広域からの集客にも繋がり、ビジネスホテル等を中心にした安価な宿泊施設の大量供給が発生し、海外高級ホテルの出店計画表明にも至っている。 一般的に「南東北」とは宮城県・山形県・福島県の3県を指す。以前の仙台経済圏は宮城県内に留まっていたが、現在は県境を越えて宮城県・山形県・福島県の3県の県庁所在地(仙台市・山形市・福島市)を含む形になったため、「仙台経済圏」を指して「南東北」と呼ぶ例も見られるようになった(→南東北)。
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