「フィッシュ=イン」抗議の決行
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「ボブ・サタイアクム」の記事における「「フィッシュ=イン」抗議の決行」の解説
1964年3月2日、ボブら「SAIA」は一斉にワシントン州の保留地外区域の川にボートを繰り出し、伝統的な投網漁を行う「フィッシュ=イン」抗議を決行した。この抗議にはキャサリン・トラウらシアトルのインディアン女性団体「アメリカインディアン女性奉仕連盟」(AIWSL)も合流後援し、ボブと交流の深かった白人俳優マーロン・ブランドや、ジェーン・フォンダ、黒人コメディアンディック・グレゴリー、米国聖公会のジョン・ヤーヤン司教といった非インディアン支援者も応援参加している。ボブら抗議者は市警察から暴行を受け、逮捕された。インディアンと共に逮捕されたマーロンはこう答えている。「いや、インディアンの友達の釣りを手伝ってただけだよ」。 市警察は、マーロンとヤーヤンを2時間で釈放したが、アルバート・ロッセリーニ州知事はインディアンの逮捕の正当性を表明し、インディアンは釈放しなかった。 翌3月3日、約1000人のインディアン支援者とマーロン・ブランドが州都オリンピアでデモ行進を行い、マーロンやインディアン運動家がロッセリーニ知事と会談し、抗議者釈放を迫った。「NAACP」の黒人弁護士ジャック・タナーはインディアン抗議者逮捕時の暴力行為をファイリングして公開。弁護団を結成してボブらを支援した。 1964年12月6日、州の白人漁業者団体「ワシントン州スポーツマンズクラブ」(WSSC)が、「フィッシュ=イン抗議に対して焦土作戦を採る」と決議表明。300人の州の漁猟監視官と市警察官が動員された翌1965年の「フランクの投網抗議」では、抗議ボートが転覆させられ、女・子供によるインディアンの支援キャンプが襲われ、女たちが暴行を受け逮捕された。「AIAC」と「NIYC」は「全米野生動物連盟」(NWF)に働き掛け、これに応えた「NWF」はワシントンD.C.での年次総会で「AIAC」支持を表明。全米の世論がワシントン州に集中する事態となった。 1968年、6月13日と14日に多数の抗議団と共に「フィッシュ=イン」抗議を主催。続いて9月4日にハンク・アダムスやビリー・フランクらと、ニスクォーリー川の保留地外の4箇所で「フィッシュ=イン」を決行。「フランクの投網抗議」のキャンプ地は一カ月を超す長期占拠抗議となった。この抗議は「平和と自由の会」、「民主社会のための学生たち」、「社会主義労働者党」、「ブラック・パンサー党」といった、非インディアンの団体が多数参加し、州管理官や「WSSC」と互いに武装しての睨み合いとなった。 1970年9月9日、ピュヤラップ川での「フィッシュ=イン」抗議では、タコマ警察は女・子供を含む抗議者たちのキャンプに対して催涙ガスや警棒を使用しており、55人の大人と5人の子供のデモ参加者を逮捕している。1971年1月19日には、ハンク・アダムスが白人自警団員によって撃たれ、重傷を負っている。
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