「クミコ」に改名
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一般に知られるようになる最初のきっかけは、2000年に発表したアルバム『AURA』である。1996年のアルバム『世紀末の円舞曲(ワルツ)』を聴き、ライブに足を運んだ作詞家・松本隆がクミコの歌に感動し「あなたの歌声には言霊がある」と、プロデュースに名乗りを上げ、アルバム全編の作詞をした。また、「別れた亭主の名前をいつまでも付けているから売れない」との助言を受けて、姓を取って現在の「クミコ」に改名した。 2002年、avex io移籍後初のアルバム『愛の讃歌』に収録された、バルバラのシャンソンに詩人の覚和歌子が原詞を離れて作詞した「わが麗しき恋物語」という楽曲が口コミで評判になる。ニッポン放送のアナウンサー(当時)・上柳昌彦が自身の冠番組『うえやなぎまさひこのサプライズ!』でも度々取り上げ選曲するなど、影響力の大きな業界人にもクミコのファンは多く存在する。2007年2月には『十年 〜70年代の歌たち〜』をリリース。イッセー尾形、江國香織、大石静、残間里江子、椎名誠、立木義浩、筑紫哲也、弘兼憲史、藤原美智子、吉永みち子が選出した“クミコに歌わせたい思い出の70年代の歌たち”10曲をクミコ流の解釈で表現。また中島みゆきも「十年」という楽曲を書き下ろした。 2007年7月、それまでの集大成となるCD8枚+DVDの『コンプリート・クミコ・ボックス〜二十五年〜』をリリース。絶版になっていたかつての音源も復刻された。9月には映画『エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜』の公開に合わせて『クミコ meets ピアフ』をリリースし、エディット・ピアフの歌を本格的に取り上げた。 2008年3月、『友よ! 〜あの出発ち(たびだち)を“青春”と呼ぼう〜』をリリース。1970年代中心の男歌10曲をカバー、福岡の同世代の主婦、智子がクミコに提供した楽曲「ブラボー!」も収録されている。 2009年2月、手紙の朗読と歌で綴る舞台『ミュージカル仕立ての歌語り「届かなかったラヴレター」Vol.1』をミュージカル俳優井上芳雄と二人で共演した。同公演に合わせて新曲「届かなかったラヴレター」と「車輪」(デュエット曲)が、作詞/覚和歌子、作曲/三木たかしによって作られた。2009年5月11日に他界した三木たかしの遺作となった。
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