青梅鉄道公園 青梅鉄道公園の概要

青梅鉄道公園

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/28 14:21 UTC 版)

青梅鉄道公園
Ome Railway Park
青梅鉄道公園本館
分類 鉄道公園
所在地
座標 北緯35度47分32.1秒 東経139度15分48秒 / 北緯35.792250度 東経139.26333度 / 35.792250; 139.26333座標: 北緯35度47分32.1秒 東経139度15分48秒 / 北緯35.792250度 東経139.26333度 / 35.792250; 139.26333
開園 1962年10月19日
運営者 公益財団法人東日本鉄道文化財団
事務所所在地 東京都青梅市勝沼二丁目155番地
公式サイト www.ejrcf.or.jp/ome/
テンプレートを表示

1962年昭和37年)10月19日、当時の国鉄鉄道開業90周年記念事業の一環として[2]永山公園の一角に開園した。現在は東日本旅客鉄道(JR東日本)系の公益財団法人東日本鉄道文化財団が運営している[2]。最寄り駅はJR東日本青梅線青梅駅[2]

概要

過去に使用された実物の鉄道車両10両と、ボタン操作で動作する踏切4灯式信号機を屋外に展示している。記念館では鉄道模型の運転や企画展示を見学できる。 1980年には、昭和天皇武蔵陵墓地参拝の帰路に行幸したことがある[4]1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化によりJR東日本が運営を継承し、1997年平成9年)4月からは関連組織の財団法人交通文化振興財団が運営を受託していた。2009年(平成21年)4月からは東日本鉄道文化財団が運営を受託している。

施設名が示すように「博物館」ではなく「公園」としての位置づけであり、開園当初は展示されている鉄道車両に自由に立ち入ることが可能で、入場料が無料であった。しかし長年にわたる屋外展示により保存車両の荒廃が進んだことから1997年(平成9年)にいったん休園し、展示車両の補修整備を実施し、それ以後は小学生以上一律100円の入場料を収受している。コロナ禍前で年間7万~8万人が来園していた[3]

現代の観点ではどちらかと言えば小規模ではあるが、国鉄最後の新造SLで特異なスタイル・運用がされたE10形や、最寄となる青梅線および南武線での最後の運用がされた準鉄道記念物ED16形直流電気機関車などを展示しているほか、新幹線0系電車の展示がある。廉価な入場料設定もあり、手軽な行楽スポットとして人気を博しているほか、20世紀末までは東映特撮番組のロケーション撮影にも使用されていた。

長らく車両は全て露天展示だったが、車体の腐食防止のため、2007年(平成19年)に上屋の設置工事が行なわれ、現在はほとんどの車両(新幹線0系電車以外)には屋根がかけられている。

2010年(平成22年)9月23日、青梅鉄道公園の園長に、7年前からこの公園に住み着いていたメスの三毛猫「のら」が任命された[5]

2023年令和5年)9月1日から2025年度(令和7年度)末の期間、リニューアル工事のため休園すると、JR東日本と東日本鉄道文化財団、青梅市が2023年4月26日に公表した[6]。再開園後は「中央線・青梅線の鉄道の歴史を伝える学びの場」とする計画である[3]後述)。

展示車両

(左から)5540・9608・8620・2221
(左から)クモハ40054・C11 1・E10 2
明治時代を代表する貨物・勾配線用タンク機関車B6クラスの1両。
明治時代を代表する旅客用テンダ機関車。
大正時代を代表する旅客用テンダ機関車8620形の初号機。
大正時代を代表する貨物用テンダ機関車9600形の日本国内に現存する最若番機。
昭和時代を代表する汎用タンク機関車C11形の初号機。
昭和時代を代表する貨物用テンダ機関車D51形(デゴイチ)の1両。
国鉄最後の新製蒸気機関車E10形の1両。
国鉄の初期の標準型電気機関車として量産されたED16形の初号機。2018年に重要文化財に指定された[7][8][9]
民営化後、JR東日本のコーポレートカラーである緑色に合わせて200系と同様の塗色で窓周りと前面排障器(スカート)が塗り替えられていた時期もあったが、現在は元の青色に戻されている。
昭和30年代に僅かな期間であったが青梅電車区に配属になっており、その後、小山電車区に転属し日光線で使用、更に国府津電車区に転属し職員輸送車となった。また、JR八王子支社開設記念イベントで青梅線を走行した。

過去の展示車両

露天展示時代の園内保存蒸気機関車。
左:110[注釈 1]、5540、右:2221、8620、奥:9608。
露天展示時代の園内保存蒸気機関車
(左から)C51 5[注釈 2]、C11 1、E10 2。
1935年、鉄道省鷹取工場製の食堂車スシ37800形スシ37820。
1962年に品川で廃車後、公園開園に合わせて搬入され、食堂として記念館の隣に展示された[10]。1972年に記念館の裏に展示位置が変更となり、以前の展示場所にD51 452が搬入・展示された。1980年、老朽化が進んでいたことから、ED16 1を展示するために解体撤去されたため、物議を醸した。
TR73三軸ボギー台車のみ現存しており、交通博物館を経て鉄道博物館に展示されている[11]
1930年、鉄道省大井工場製の桃山式内装展望車スイテ37010形スイテ37011。
経年損傷が激しくなったため、1987年に製造場所のJR東日本大井工場(現・東京総合車両センター)に移送され、1997年に修復された。現在は鉄道博物館で展示されている。
1982年9月12日夜、台風18号に伴う大雨により、展示場所[注釈 3]の地盤が崩落して転覆・損傷した[12]。1983年3月20日より復旧作業が始まり、新しい展示場所に引き上げられ[13]、修復された。2007年5月に搬出され、現在は鉄道博物館で展示されている。なお同機が展示されていた場所に現在はクモハ40054が展示されている。
日本の鉄道開業時に新橋 - 横浜間を走った10両の機関車のうちの1両。1924年(大正13年)の廃車後、大宮工場で職員や見学者の教材として内部構造が分かるように車体右側の各部が切開され、同所で展示・保管されていた。1961年に鉄道記念物に指定され、翌年には公園開園に合わせて搬入された。園内で最古の車両であったが[14]、2019年8月31日をもって展示を終了し[15][16]、9月2日に搬出された[17]大宮総合車両センター(かつての大宮工場)で車体の修復と切開部の閉腹が行われ、2020年より桜木町駅(初代横浜駅)併設の商業施設「CIAL桜木町 ANNEX」に中等客車の実物大レプリカとともに展示されている。
  • 開園当初、展示された数台の蒸気機関車は圧縮空気により汽笛を吹鳴することができた。

注釈

  1. ^ 110は2019年に搬出され、現在はJR桜木町ビルに展示されている。
  2. ^ C51 5は2007年に搬出され、現在は鉄道博物館に展示されている。移設後の空いた場所にはクモハ40054が展示されている。
  3. ^ 開園時から転落時まで、C51 5はED16 1の隣に展示されていた。現在は芝生となっている。

出典

  1. ^ Ome Railway Park 東日本鉄道文化財団公式サイト(英文)2023年4月28日閲覧
  2. ^ a b c d e 青梅鉄道公園 東日本文化財団公式サイト(2023年4月28日閲覧)
  3. ^ a b c JR東、青梅鉄道公園を刷新」『日本経済新聞』朝刊2023年4月28日(東京・首都圏経済面)同日閲覧
  4. ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、151頁。ISBN 978-4-10-320523-4 
  5. ^ “青梅鉄道公園に三毛猫園長”. 読売新聞. (2010年9月24日). オリジナルの2010年9月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100927155936/www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyotama/news/20100923-OYT8T00850.htm 
  6. ^ a b 青梅鉄道公園のリニューアルについて”. 東日本旅客鉄道株式会社 公益財団法人東日本鉄道文化財団 青梅市. 2023年4月26日閲覧。
  7. ^ 官報号外 第239号:文部科学省告示 第208号(有形文化財を重要文化財に指定する件)』(プレスリリース)国立印刷局、2018年10月31日。 オリジナルの2018年4月1日時点におけるアーカイブhttps://kanpou.npb.go.jp/old/20181031/20181031g00239/20181031g002390000f.html 
  8. ^ 2両の電気機関車(ED40形式10号およびED16形式1号)が国の重要文化財指定へ』(プレスリリース)東日本旅客鉄道、2018年3月9日。 オリジナルの2018年3月10日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20180311044128/http://www.railway-museum.jp/press/pdf/20180309_2.pdf 
  9. ^ JR東日本保存の電気機関車2両が、国の重要文化財に指定される”. railf.jp(鉄道ニュース). 交友社 (2018年3月10日). 2018年3月11日閲覧。
  10. ^ 青梅市HP「写真でつづる市のあゆみ」に開園式の写真があり、記念館の隣にスシ28が写っている。
  11. ^ 藤田吾郎「食堂車の保存車・廃車体」『鉄道ピクトリアル』No.761、電気車研究会、2005年5月1日、30頁。 
  12. ^ 鉄道ファン編集部「どうなる青梅のC51 5」『鉄道ファン』No.261、1983年1月1日、136頁。 
  13. ^ 高橋卓郎「C51 5 復元作業始まる」『鉄道ファン』No.266、1983年6月1日、123頁。 
  14. ^ 青梅鉄道公園: 実物展示車両のご案内 - ウェイバックマシン(2019年8月11日アーカイブ分)
  15. ^ 110形蒸気機関車の展示終了とクモハ40形電車の公開再開について』(プレスリリース)青梅鉄道公園、2019年8月27日。 オリジナルの2019年11月4日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20191104154654/http://www.ejrcf.or.jp/ome/pdf/190827news.pdf 
  16. ^ oumerailparkの投稿(1051299521726571) - Facebook
  17. ^ oumerailparkの投稿(1055328724656984) - Facebook
  18. ^ 梅77丁 西分 都バス運行情報サービス(2023年4月28日閲覧)


「青梅鉄道公園」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「青梅鉄道公園」の関連用語

青梅鉄道公園のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



青梅鉄道公園のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの青梅鉄道公園 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS