科学的方法 科学的方法の概要

科学的方法

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/25 22:26 UTC 版)

科学的方法の意味と概略

科学的方法とは、断片化された散在している雑情報あるいは、「新たに実験観測をする必要がある未解明な対象」に関連性、法則を見出し、立証するための体系的方法である。

「科学的」という言葉についての辞書的定義として、国語辞典(デジタル大辞泉)には以下のように記載されている[1]

  1. 考え方や行動のしかたが、論理的、実証的で、系統立っているさま。
  2. 特に自然科学の方法に合っているさま。

「すべてのアメリカ人のための科学」では、調査、論証、あるいはそれらの手法が、科学的であるために必要な要件として、証拠、推論過程、結論に関するいくつかの特徴、及び調査手段におけるいくつかの特徴(仮説-検証型 等)に関して、ある程度の共通理解が存在する、とされた[2]

しかしながら科学的方法に関する具体的な指針については、さまざまな時代の、様々な者が発言を行っている。 「発言者の立場」に基づいて大別すると、科学者技術者などの科学サイドの人間によるものと、哲学者社会学者教育学者等の社会的サイドの人間によるものがあり、概して両者の間には温度差がある[3]

科学が満たす「一定の基準とはそもそも何か」という問題は諸論があるが、大まかにいえば、その推論過程において「適切な証拠から、適切な推論過程によって推論されていること」[4]、「仮説検証型」[4]の調査プロセスが要求される。また、扱う対象が、測定、定量化が可能であることが望まれることも多い。

古典的な基本

放送大学の濱田嘉昭によれば、科学的な方法の古典的な基本は、17世紀にデカルトが『方法序説』で示した以下の原則である[5][6]

明瞭判明の規則 明らかに真理と認められたものだけを判断の基準とする。
要素分解 解決可能な要素に分解して考察する。
具体から抽象へ 単純なものから複雑なものへと順番に認識をすすめる。
総合 見落としがないことを十分に確かめて、完全な列挙と再構成により全体を再構成する。

これは17世紀に提示されたものであるが「現在でも研究論文を書きあげる指針として十分光を放つものである」という。

現代における科学的な方法

「科学的方法」についての言及は、さまざまなものがある[注釈 1]

2009年の『高等学校学習指導要領解説理科編』119頁には、「理科課題研究の目的」として、以下のような解説がなされている [7]

「科学に関する課題を設定し」とあるのは,自然や科学技術に関して観察,実験などの探究的な活動を通じて習得した探究の方法を用いることにより解決できる課題を設定することを示している。
「観察,実験などを通して研究を行い」とあるのは,仮説の設定,実験の計画,実験による検証,実験データの分析・解釈,推論など探究の方法にしたがって研究を進めることを示している。
「科学的に探究する能力と態度を育てる」とあるのは,探究の方法を用いて研究を行う過程で,設定した課題を科学的に解決する方法を見いだす能力と態度を育成することを示している。
「創造性の基礎を培う」とあるのは,研究の実施や報告書の作成を通して,研究においては独自性が重要であることに気付かせ,創造的な思考力を養うことを示している。そのためには,文献等の調査,研究に必要な器具や装置の製作などについて,適切な助言が必要である。

上記の「探究の方法」、「科学的に探究する能力と態度」等の要件定義から、科学的な方法(「探究」)の特徴に関する規定がある程度読み取れる。

世界各国を見渡すと[8]、一つとしてアメリカ科学振興協会が1989年に提出した報告書、「すべてのアメリカ人の科学」[2][注釈 2]がある。

「すべてのアメリカ人の科学」(SFAA)は、草記、審査、承認に関して、さまざまな領域から、世界的に権威を認められた者が多数関わっている点に特徴がある[2]F. James Rutherfordは、(その文書の編纂に携わったひとりだが)同文書について、「(いろいろありはしたが)結果としては「多くの地域の科学者たちは、“尊敬されるメンバーが行った表明として”受け入れてくれた」と主張した[2]。 だが、この文書には多くの免責事項が書かれている。例えば、 F. James Rutherfordは同文書の「日本向けの序文」の中で、以下のような免責事項を述べている。たとえば、同書の名前として『すべてのアメリカ人のための科学』といった、米国限定であるようなタイトルをついていることについて、「この文書の作成には、基本的に他国の科学者が参加しておらず、他国の優秀な科学者の見解が反映されていないことから、これを勝手に「すべての人のための科学」としてしまっては、他国の科学者たちがそれぞれの見解を表明するという権限を侵してしまう可能性があり、そうはしなかった」と述べている。またラザフォードは、この『すべてのアメリカ人のための科学』も、(そして、他のいかなる刊行物も)1冊では科学的リテラシーを保証するものとはならないと述べてこの冊子で提示できることがらの限度に対し一定の理解を示している。

同文書などでは、「科学的な方法の特徴は、論証過程と調査プロセスに顕著に認められる」とした[2][注釈 3]記述がみられる。論証過程においては、以下のような記述がある。

基本的なことを言えば、様々な科学的学問は次のような点では似通っている。すなわち、証拠に依拠していること、仮説理論を使用しているということ、また用いられる論理の種類、である[9][10]。とは言うものの、科学全てが同一の特徴を有しているというわけではなく、異なる点も多々ある[9][10]。たとえば科学者ごとに、研究する現象、活動に取り組む姿勢歴史的データを用いるか実験的発見を用いるのか、手法が定性的なのか定量的なのか、基本原理への依拠の程度、他の科学の所見をどの程度重視するか、などの点では大きく異なっている[9][10]

上記の記述において、「証拠に依拠していること、仮説理論を使用しているということ、また用いられる論理の種類に共通性があること」が、科学的学問の間で、特に類似性の高い部分としている[10]

また、一般に、論理の妥当性に関しては以下の点が必要である[4]

  • 「適切な証拠への依存」
  • 「明確な結論の存在」
  • 「証拠と結論を結ぶ適切な推論過程の存在」

これらについて、以下のような記述が本文[10]に記載されている(下線は本記事の執筆者による)。

科学は証拠を要求する遅かれ早かれ,科学的主張の妥当性は現象を観察することで解決される。したがって,科学者は正確なデータを収集することに努力する。

仮説や理論の形成にはあらゆる種類の想像力や思考力が利用されるが,遅かれ早かれ,どのような科学的主張であっても論理的推論の原則に合致しなければならない。すなわち、 推論,実証,常識に関する一定規準を適用することで,主張の有効性は試されなければならないのである。科学者は,しばしば特定の証拠の価値や特定の想定の妥当性について見解が異なるため,正当化すべき結論に関する見解が異なることがある。しかし,証拠と想定を結論に結びつけるための論理的推論の原則については,科学者の見解は一 致する傾向にある

これに加え、以下のようなことも述べている。

論理と証拠に関する詳細な調査は必要なものではあるが,これだけでは科学の発展にとって十分ではない。科学的概念は,データや実施された多くの分析から自動的に発生するわけではない。

調査プロセスにおいても、いくつかの免責事項がつくが、以下のような記述がある。

科学者が常に従っているような決まった一連の手順などというものは無い[9][10]。また、“誤ることなく科学的知識に導いてくれる単一の道筋”などというものも無い[9][10]。それでも科学には、探究モデルとして他とは異なった性質をもたらしているような、何らかの特徴がある[9][10]

現代の科学的な方法においては、一つの現象を説明する場合に、"「なぜそうなるのか」という哲学的な問題は棚上し、「その現象がどのようにふるまうのか」に着眼する傾向がある[11]"とファインマンは指摘した。 この意味で、科学的な方法においては結論の提示は現実の物理現象、社会現象などを定性的/定量的に説明する具体的なモデル[12]を提示する形で行われる傾向がある[5]

また、多くの科学的理論の成否は実験によって判定されるが、理論の成否は「シロ」か「クロ」というような幼稚な二元論で判定されるのではなく、 信頼性や有意性、当てはまりのよさといった統計的な尺度で良し悪しを判定され、その値は良し悪しはスペクトラム状(無段階、連続的)に広がっている。 従って、現代の科学的手法で得られた結果や結論に対しては、当てはまりの良さや有意性を表す数字がつけられることが多い。また、同じ事柄に関して 複数の等価でない理論が並立することもあり、それぞれの理論は別々の結果を算出することもよくある。そして別々の結果であっても、あてはまりのよさが同程度であったとした場合には「同程度に正しい」ことになる。

結論の成否は証拠となる事実の取得方法、処理方法、推論過程の適切さの判断となる[4]。しかしながらこの問題は評価の問題を含む。また分野間、研究者間によってデータの処理方法や実験的所見、定性的又は定量的手法等が異なる[2]。 「適切さ」の問題について、科学哲学者の戸田山和久は、[13]は、以下のように述べている。

"科学が扱っているのはすべて理論であって、その中により良い理論と、あまり良くない理論がある。科学の目的は、理論をほんの少しでもより良いものにしていくことだ"([13]P23)

即ち、不適切(黒)と適切(白)の間はスパッと二分できるものではなく、スペクトラム状に広がっているものだという考え方である。 戸田山によると、「“より”良い仮説や理論の基準」とは、以下のようなものとしている([13]P39)。

  1. より多くの新奇な予言を出してそれを当てることができる。
  2. アドホック(その場しのぎ)の仮定や正体不明・原因不明の要素をなるべく含まない。
  3. すでに分かっているより多くのことがらを、できるだけたくさん/できるだけ同じ仕方で説明してくれる。

また、戸田山は、科学的良い理論には次の特徴があると述べている([13]P148)。

  1. 実り豊かである。未知の現象がたくさん予言され、当たってきたなど。
  2. 守備範囲が広い。予言されたり説明されたりする現象が広範囲に及ぶ。
  3. 一定の実績のある別の理論を内包していること。(ex:量子力学は、エーレンフェストの定理等により古典力学を含む)
  4. シンプルであること。

さらに、科学的によくない理論としては、「反証可能性」という観点から[注釈 1]以下のような特徴があるともしている([13]P140)。

  1. 仮説を曖昧な言葉で述べる。あるいはほとんど反証例のありえない、いつでも成り立つような仕方で与えることで、反証条件をはっきり与えない。
  2. 仮説の反証条件ははっきり与えられていても、反証条件を満たす反証例が現れたときにアドホックな仮説を付けたしたりして仮説をいつまでも守るようなことを行う。

但し、戸田山は以下のようにも述べている、

反証例から仮説を守るため、補助仮説が置かれるときに、ちゃんとした科学では補助仮説の置き方が合理的で、疑似科学はそうでないという特徴がある(([13]P148 より引用))。

さらに、戸田山は、「アドホックな仮説を継ぎ足すこと」については、特に実りの多い理論に対して少数の反証例から一つの理論を全否定することは通常はないと指摘していて、 アドホックな仮説を継ぎ足すことが結果としてよかった例も多数あることにも具体例を挙げて言及している(アドホックな仮説を継ぎ足すことが失敗に終わった事例にも言及している)。

操作主義的定義

科学哲学者の戸田山和久は、科学を示す用語は、大きく、以下のA群,B群の2種類に分けられると述べている[13]操作主義的定義の立場に立つと、科学的方法とは、以下のB群の言葉達によって特徴づけられる方法論と言うことも出来る。

  • A群:科学が取り扱う現象や対象,知見そのものを表すための言葉
    • (例)DNA,RNA,電磁誘導,…
  • B群:科学的な方法論の特徴付に供される言葉
    • (例)仮説,検証,推論過程,アブダクション,…

即ち、B群で特徴づけられるような言葉や手法を用いて、A群で特徴づけられることについて、「予測」すること、「技術的な応用を与えること」、そして「説明」することが科学的方法の特徴づけとする立場である。「説明」について、戸田山は、([13]P73)以下のように分類している。

  1. 原因(因果関係)を突き止めること
  2. 一般的・普遍的な仮説/理論から、より特殊な仮説/理論を導くこと
  3. 正体(メカニズム)を突き止めること

科学の厳密性

現在、科学が再現性の危機に瀕し、科学界が新たな方法論を模索する中、統計学と人工知能の自然言語処理や機械学習の技術を組み合わせて、現代における科学的方法の厳密性を評価する手法も生み出されている[14]

対象

科学的な方法が取り扱い得る対象については、科学者の間でしばしば見解の相違が見られる。一般に「科学的な方法」の適用範囲については人によって意見が異なり、対象を限定する議論は極めて難しい。その理由は、個々の研究者間で証拠の妥当性や扱う対象の価値判断が異なるためである[2][5][15]

科学の扱う対象について、以下の論点がある

[2][4][16][17][18][19][20][21]

[22][15]

測定可能性、測定原理の存在

科学史研究者の岡本拓司(東京大学)の文章には「測れるもののみが科学の対象」と書かれていた[23]。これはポアンカレが述べた言葉の引用と思われる。 同様の趣旨で、「測る」というとがやや難しくなる社会科学の領域でも概念操作化」 (Operationalization) [26][24][25]という言葉が用いられる。「概念操作化」とは、リサーチクエスチョン(研究を通じて明らかにしたい問いのこと)を、「実験」や「調査」を通じて検証可能なレベルにブレイクダウンする過程のことである。このように理系文系の両方において、「測定原理の存在」/「概念操作化」が重視されていることから判るよう、科学的な方法を論じるうえでオーソドックスな考え方であることが想到されよう。

測れることを保証するためには、適切な測定手段が必要である[17][24][26]。適切な測定手段の実現には、正しい測定原理と、それを実現する適切な装置構成、適切な精度評価が必要である[要出典]。物理学や化学では、測定原理の妥当性の評価が比較的行いやすい対象が研究対象になるが、それでも最先端では、測定原理の妥当性や、装置構成の妥当性に対し議論が生じる場合もある(#証拠の節も参照のこと)。

科学には「理論物理学」のような理論分野も存在するが、理論分野においても検証手段としての実験方法の提示は、極めて重要である[要出典]。 但し、検証手段は必ずしも、現在の技術で実現できるものである必要はない。例えば、量子力学における不確定性の概念は、ハイゼンベルクが提案した顕微鏡による電子の位置と運動量の測定実験のように、思考実験による検証に端を発する[要出典]。さらに、特に工学においては複素電界のような、「実在しない量」(測定することが不可能な量)が当たり前のように使われている場合もある[27]。複素電界自体の定義は光学の初歩中の初歩であるため専門書に解説を委ねるが、このような実在しない“物理”量を作ることで、光の干渉等の一部の物理現象が数学的に簡単に取り扱えるようになる。このような場合には、「測定できない」という意味で実在しない量も科学的理論として認められる場合もある。尚、電磁ポテンシャルのように、元々は「実在しない量」(数学的な便宜のために導入された“物理”量)と思われていたものが、外村彰によってアハラノフ=ボーム効果の実証がなされたことによって「実は実在する量であった」ことが後に判明したというケースもある。

定量性

測定結果は、定量的であるほうがより価値が高いとされることが多い。但し、キャベンディッシュの実験(クーロンの法則に関する)や、ホイートストーンブリッジ等のNull Checkのほうが、価値が高い、とされる場合もある。また、結果の定量的な予測が出来ない理論は、価値が低く見られる傾向がある。但し、系が複雑な場合には、短時間で定性的な傾向がつかめることや、半分以上の予測のずれが許容される場合もある[要出典](シンプルさとのトレードオフが存在する)。

ここ数十年、医療や食品の分野で、証拠に基づいていない説・言説は不適切、と見なされるようになってきている。特に、医療医薬品の効果に関しては、疫学的な観察や治療結果の統計学による比較に根拠を求める根拠に基づく医療が重視されるようになってきている。また、食品、製品の安全性についても、定量的なデータに基づいた監査が強化される傾向にある[21]FDA等のWeb Site[要文献特定詳細情報]を参照のこと)。このように、定量的なデータに基づくことを重視する立場を、エビデンスベースという。[要出典]但し、黎明期の理論や、あたりをつけるための理論に関しては、実際のデータとは一致しない仮定を多数含んだとしても予測力が一定水準あれば、仮説として一定の価値を得ることもある。

一方で、いくつかの問題は、定量化が難しい場合もある[注釈 4]。このような問題に関しても、数字を用いて考えるほうが より科学的だ、と述べる人々もいる。実際に調査するのが難しいようなとらえどころのない量であっても、いくつかの手掛かりを元に論理的に推論し、概算すること(フェルミ推定)は、科学的な思考の基本である[28][29][30]と言われている。

文系の問題には「都市化が進むと治安が悪化するか?」、「結婚すると幸せになるか?」のような定量化が困難な問題が多いとされる [24][25]。 但し、「測定可能性、測定原理の存在」において紹介した概念操作化」 (Operationalization) [24][25]という考え方により、リサーチクエスチョン(研究を通じて明らかにしたい問いのこと)を、「実験」や「調査」を通じて検証可能なレベルにブレイクダウンすることができる場合もある。実際には政治経済司法等においても、既に存在する統計データ(白書売上データ等)から、四則演算および並べ替え・書き写しだけの操作で、データを、仮説検証に適した形に変更することができる問題は多数ある[31][32][31][32]。この種の問題の詳細は、本記事後述の「#日常の俗説と科学的方法」の節で述べる。

再現性

論じる対象を測定することが可能であったとして、今度は、再現性が問題になる。再現性については、例えば、物理学者中谷宇吉郎(1900-1962)は1958年の著書において「科学は再現の可能な問題に適用範囲が限られる」と述べた[16][注釈 5]。19世紀の科学では、文字通りの「再現性」が重視されていた。

一方、筑波大学教授・宮島龍興が日本教育工学振興会提言で、現代では(厳密な意味での)再現性や定量化が難しい対象も科学の対象となってきている[18]、と指摘した。この背景には、(20世紀、なかでも20世紀後半における)推測統計学の導入により従来の記述統計をベースとした統計処理だけでは扱い切れなかった対象が定量的に考察しえるようになったことがある。

例えば医学薬学心理学経済学などは、根本的に複雑性や複合性を内包していて、再現性を得にくい生体社会そのものを扱う[19]。(19世紀までの科学の水準ではこれをうまく扱えなかったが)現代の科学においてはこれらも、科学的な研究対象である。つまり、このような「古典的な意味での再現性が無い分野についても、統計学の手法を用いて、科学的な方法の対象とする」という立場が、現在の科学的方法の主流である。この論点については、次節にて述べる。

統計的な有意性

科学的な結論であるためには、適切な統計手法を用いて適切に「有意な違い」があることを示さなければならないとよく言われる。 [13], [33], [34] [35], [36], [37], [38]。従って科学的な方法の対象であるためには、適切な統計手段が行使し得る対象である必要がある。

意味のある統計手段を行使するためには、少なくとも以下が必要である [13],[33],[34],[35],[36],[37],[38]

  • 適切なグループ分けの設定
  • 適切な方法で実験条件を振る/キザむこと(所謂「条件出し」の問題)
  • 適切な統計手法/統計検定量の採用
  • 統計的な有意差を得るために必要な実験例数の設定
  • 統計的な相関、差異の適切な解釈
  • 実験データを適切な可視化手段にて可視化されること

また、以下が満たされていることが望ましいとされる。

  • 適切な可視化手段

これらについては、後述の「実験のデザインと統計学的視点」の項にて詳述する。

論理的整合性

(下記の「科学的方法における論証」も参照のこと。)

論理的整合性とは、[4]

  • 「根拠(証拠物件)」
  • 「推論過程」、
  • 「結論」

から構成された三角ロジックによるフォーメーションを持った論理構成であり、

  • 仮に「根拠となる事実(仮定を含む)」が間違っていないとすれば、推論過程に無理がないこと
  • 内部矛盾や循環論法が少ないこと
  • 根拠となる事実や仮定同士の間で矛盾がないか、あるいは矛盾があっても結論を防衛しえる議論を尽くしていること

を意味する[4]

文科系の諸学問においては、検証、定量化が困難、あるいは、不可能な課題に取り組むことも多々ある[15]。また、自然科学者からみれば、予測の定量性に瑕疵があると考えられる仮説が重要な学説として鎮座している場合もある[15]。例えば、心理学、教育学などでは、測定原理の妥当性の評価が極めて難しい対象、例えば心の痛み知能学力等を扱う[39]。例えば「心の痛み」というものが存在することを否定するものは極めて少数で、現代では組織運営をする上でも極めて重要な概念であり、正しい根拠に基づいた判断が要求されるものであるが、これを定量的に測定する測定原理を提案することは難しい。同様のもので、(存在するか否かが怪しいものも一部にあるが)おそらく存在するだろうと考えられ、何らかの重要な問題と関係があるものであるが、その測定原理を示し難いものは沢山ある。

このような対象に対しては、「論理的な整合性を維持しながら、適切な証拠を集めて議論をするならば科学的である」とする考え方もある[20]。このような見解に立つと、ハリウッド映画俳優の共演関係のようなものまで科学的考察の対象と考えられることがある[20]。このような考え方も、定量化が難しい分野においては、しかたなくではあるものの、ある程度認められた考え方である[15]

「論理的整合性」を吟味するにあたっては、前提としての科学的理論の合理性や、分析方法の適切さ、参考データの信頼性に最大限留意する必要がある。これらの点を欠くと、「蟻を殺すのに核兵器を使う」ような議論(集団ヒステリー)、逆効果の発生、ひいては冤罪等の最悪の結末を発生させる可能性がある[22]







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