植民とは? わかりやすく解説

しょく‐みん【植民/殖民】

読み方:しょくみん

[名](スル)ある国の国民または団体が、本国従属する関係に置かれ地域移住定住して経済活動開拓活動などをすること。また、その移住民

「植民」に似た言葉

植民地

(植民 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/09 14:01 UTC 版)

植民地(しょくみんち、殖民地: colony)とは、本国からの移住者によって経済的に開発され(植民・移民)、本国に従属する地域[1][注 1]統治領(とうちりょう)とも呼ばれる。古代ギリシアローマ時代には、新しい地域に移住して形成する社会を意味した[1]




「植民地」の続きの解説一覧

植民

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/22 09:32 UTC 版)

東部総合計画」の記事における「植民」の解説

空白となった東部には、ドイツ人移住が行われることになっていた。改訂版計画では25年間に490万人移住が必要であると考えられていたが、ドイツ系移住者これだけ捜すことは困難であった。そのためリトアニア人ラトビア人のうち人種的価値が高いと見られた者を中層階級に位置づけ、さらに現地住民下層階級位置づけることで労働力軽減しようとした。ゲッツ・アリー(ドイツ語版)・スザンネ・ハイム(ドイツ語版)の共著絶滅政策立案者たち―アウシュヴィッツドイツヨーロッパ新秩序計画』ではこれを「今やドイツ人』は指導層予定されたが、『残存する異民族住民』は『より低い社会階層』に配置されねばならなかった。」と評し、その例として東部総合計画をめぐる会議参加者発言引用している。その発言では東部将来像スパルタ社会構造なぞらえドイツ人自由民であるスパルタ人、リトアニア・ラトビア人を半自由民であるペリオイコイ現地残留したロシア人奴隷であるヘイロタイ位置づけられるべきであるというものであった

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植民

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 15:36 UTC 版)

移民」の記事における「植民」の解説

帝国主義時代の下、ヨーロッパ諸国アメリカ大陸アジア・アフリカ大陸獲得した植民地では、植民地経営のために政策的にヨーロッパからの植民がなされたアフリカからの奴隷貿易行われたその後世界的な奴隷制度廃止に伴い鉱山農園プランテーション開発鉄道建設のため、アジアでも人口が多い地域中国大陸など)からの労働移民東南アジアアフリカ大陸渡った東南アジアにおける植民地経営支えていたのはイギリス領マレー半島ゴムや錫、オランダ領インドネシア農業生産などであり、そこで必要とされた労働力中国南部インド南部から調達された。彼らの多く契約労働者であったが、現地定住する者も少なくなかったこれに伴い商業活動進出する者も増え、これらの中国移民華僑華人)とインド系移民印僑)は、その後東南アジア各地大きな影響力を持つこととなったアフリカへ移民としては南アジアとりわけインドからの人々多くイギリス帝国の下ではイギリス領植民地相互の植民も行われた

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植民

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 15:37 UTC 版)

アルカイック期」の記事における「植民」の解説

紀元前8世紀、および7世紀に、古代ギリシア世界地中海マルマラ海黒海方面関心広げた。これは単に貿易のためだけではなく植民地探すためでもあった。これらのギリシア植民地は、ローマのものはちがい母体都市依存せずそれぞれの権利持って独立した都市であった古代ギリシア人2つの全く違った方法で植民を行なった1つギリシア人によって建設された、永久的な、独立した都市である。そして他方は、emporiaエンポリア)と呼ばれるギリシア人・非ギリシア人双方居住した商業都市で、産業的商業的に重要視された。後者の例としては、東方アル・ミナ英語版)、西方ピテクサイなどが挙げられる最初期植民地シチリア島建設された。シチリア島植民地多くカルキス人によって建設されたが、ほかにコリントスメガラもこの地方植民した紀元前8世紀終わりまでには、南イタリア植民地建設され紀元前7世紀にはその範囲拡大した。西はマルセイユから、東はエーゲ海北部マルマラ海黒海到るまで植民地建設された。これらの地方への植民はミレトス人が中心となって行なわれた。同時期にシラクサMegara Hyblaeaにも植民が行なわれた。 西方では、シチリア島南イタリアギリシア植民地の中で最大規模誇っていた。実際に多くギリシア植民地南イタリア建設され古代においてマグナ・グラエキア大きなギリシア)として知られていた。紀元前8世紀後期には、シチリア島南イタリアには平均2年1つ頻度新たな植民地建設されイタリアへの植民は紀元前5世紀中ごろまで続いた

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植民

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 15:43 UTC 版)

ロンドンデリー」の記事における「植民」の解説

デリー都市になったのは1610年までに比較新しドニゴール県一部になった時である。この都市将来都市になる西岸イングランド君主からジ・オナラブル・ジ・アイリッシュ・ソサエティに譲渡され、コルレイン州(英語版)とアントリム県一部と、ティロン県大部分合併してロンドンデリー県になった17世紀にやってきたアルスター植民の一部である植民者はジ・オナラブル・ジ・アイリッシュ・ソサエティを通じてロンドンリヴァリ・カンパニーによって統治され初期の町からフォイル川沿い拡大したロンドンデリーという都市整備しアイルランド反乱者から植民者守る目的で城壁建設された。これらの目的住民君主支持の下アルスター定住するめだった。 この都市アイルランドにおいて最初の計画都市であり、1613年から始まった城壁建設1619年完了し建設費は£10,757及んだ4つの門が設けられ城壁都市内のセントラルダイアモンドは防御するのに良いデザイン考えられていた。またこの選ばれたグリッドパターンはその後英領北アメリカにある多く植民地模倣された。また、都市憲章では都市範囲中心から約6km拡張されると定義されている。 現在の都市にはセントラルダイアモンドからビショップ・ゲート、フェリーキー・ゲート、シップキー・ゲート、ブッチャー・ゲートの4つの門まで放射状4つメインストリート伸びている17世紀当時レイアウト現存している。また都市に残る最も古い建造物同時期の1633年建設されゴシック建築の聖コロンブ大聖堂である。大聖堂玄関内は完成記念するパネルがあり、「If stones could speake, then London's prayse should sound, Who built this church and cittie from the grounde.(もし石が話せるのなら、ロンドンによる1から都市大聖堂建設した人々への賞賛の話をしてほしい)」という碑文がある。

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植民

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/18 17:27 UTC 版)

ラピタ人」の記事における「植民」の解説

ポリネシア西部では、人々の住む村落大きな島の海岸沿い、あるいは小さな島作られた。これは、ニューギニア海岸などではすでに住んでいた別の民族との衝突避けるため、あるいはラピタ人にとって致命的な病気であったマラリア媒介するをさけるためであった考えられている。礁湖ラグーンの上作られ高床式住居も見つかっている。ニューブリテン島では内陸部黒曜石産地近く植民したのが分かっている。ポリネシア東部島々では内陸部に、しばしば海岸から距離のある場所に入植していた。 ラピタ土器ビスマルク諸島からトンガにかけて見つかっているが、その東端サモアウポル島のムリファヌア (en) である。ここでは4288個の土器片と2個の石の鍬が見つかっている。炭素年代測定により紀元前3000年のものと見られている。牧畜も、土器同様にオセアニア各地広まっていった。ラピタ人家畜、その移動についてきた他の生物(おそらくナンヨウネズミなど)は、外来種として結果的に多く移住先で飛べない鳥始めとする固有種絶滅させることになった

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植民

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 14:42 UTC 版)

ミレトス」の記事における「植民」の解説

ガイウス・プリニウス・セクンドゥスは『博物誌』の中で(5.112)、ミレトスは(黒海マルマラ海沿岸に)90もの植民地作ったと書いている。 例を挙げると、アポロニア(現ソゾポル)、オデッソス(現ヴァルナ)、トミス(現コンスタンツァ)、ヒストリア、ティラス、オルビア(en:Olbia)、パンティカパイオン(現ケルチ)、テオドシアタナイス、ピティウス(現ピツンダ)、ディオスクリア(現スフミ)、ファシス(現ポティ)、トラペズス(現トラブゾン)、ケラソス(現ギレスン)、コテュオラ(現オルドゥ)、アミソス(現サムスン)、シノペ(現スィノプ)、キュトロス(en:Cytorus)、セサモス(現en:Amasra)、などである。 合同植民市ナウクラティスの植民に参加するなどエジプト方面にも進出しており、ストラボンはプサンメティコス1世時代にはナイルデルタに「ミレトス人の城壁」と呼ばれる要塞存在した述べている。

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