マグナ・グラエキアとは? わかりやすく解説

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マグナ・グラエキア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/25 06:52 UTC 版)

マグナ・グラエキアラテン語:Magna Graecia)は、古代ギリシア人が植民した南イタリアおよびシチリア島一帯を指す名前。原義は“大ギリシア”を意味し、ギリシア語では Megalê Hellas(Μεγάλη Ἑλλάς、大ヘラス)。ギリシア本土を小ヘラスと呼んだことに対応する。


  1. ^ Robin Lane Fox, Travelling Heroes: In the Epic Age of Homer. Random House, 2009: ISBN 0-679-44431-9, p. 61/161; see also John Nicolas Coldstream, Geometric Greece: 900-700 BC. Routledge, 2003, ISBN 0-415-29899-7, p. 403 (note 7).


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マグナ・グラエキア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 06:12 UTC 版)

シケリア戦争」の記事における「マグナ・グラエキア」の解説

シケリアおよび南イタリアギリシャ植民地は、マグナ・グラエキアと呼ばれるうになる。この地域に住むギリシア人は、本国同じよう振る舞い周辺先住民族犠牲元に、その政治的商業的勢力圏拡大していたが、一方でギリシア本土でのイオニア人ドーリア人反目そのまま持ち込まれていた。シケリアにおいてはイオニア人シケリア北部東部入植)はシケリア先住民およびフェニキア人に対して友好的であったが、ドーリア人殖民都市シケリア南部入植)は攻撃的で、海岸から内陸部にまで勢力拡大し先住民圧迫していた。このためギリシア人殖民都市間、およびギリシア人先住民の間に衝突発生したが、殆どは限定され地域に留まった。他方先住民同士ギリシア人フェニキア人の間の交易も盛んとなり、ギリシア殖民都市繁栄した。この繁栄の中、いくつかのギリシア殖民都市は、その勢力圏再拡大試み、これがシケリア戦争引き起こした

※この「マグナ・グラエキア」の解説は、「シケリア戦争」の解説の一部です。
「マグナ・グラエキア」を含む「シケリア戦争」の記事については、「シケリア戦争」の概要を参照ください。

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