マグナ・グラエキア
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マグナ・グラエキア(ラテン語:Magna Graecia)は、古代ギリシア人が植民した南イタリアおよびシチリア島一帯を指す名前。原義は“大ギリシア”を意味し、ギリシア語では Megalê Hellas(Μεγάλη Ἑλλάς、大ヘラス)。ギリシア本土を小ヘラスと呼んだことに対応する。
- ^ Robin Lane Fox, Travelling Heroes: In the Epic Age of Homer. Random House, 2009: ISBN 0-679-44431-9, p. 61/161; see also John Nicolas Coldstream, Geometric Greece: 900-700 BC. Routledge, 2003, ISBN 0-415-29899-7, p. 403 (note 7).
- 1 マグナ・グラエキアとは
- 2 マグナ・グラエキアの概要
- 3 古代ギリシアからの移住
- 4 東ローマ帝国の統治
- 5 関連項目
マグナ・グラエキア
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シケリアおよび南イタリアのギリシャ植民地は、マグナ・グラエキアと呼ばれるようになる。この地域に住むギリシア人は、本国と同じように振る舞い、周辺の先住民族の犠牲の元に、その政治的・商業的勢力圏を拡大していたが、一方でギリシア本土でのイオニア人とドーリア人の反目はそのまま持ち込まれていた。シケリアにおいては、イオニア人(シケリア北部・東部に入植)はシケリア先住民およびフェニキア人に対して友好的であったが、ドーリア人の殖民都市(シケリア南部に入植)は攻撃的で、海岸から内陸部にまで勢力を拡大し、先住民を圧迫していた。このためギリシア人殖民都市間、およびギリシア人と先住民の間に衝突が発生したが、殆どは限定された地域に留まった。他方、先住民同士、ギリシア人とフェニキア人の間の交易も盛んとなり、ギリシア殖民都市は繁栄した。この繁栄の中、いくつかのギリシア殖民都市は、その勢力圏の再拡大を試み、これがシケリア戦争を引き起こした。
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