ローマのもの
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 00:01 UTC 版)
イエスの処刑から600年後、エルサレムはペルシャ軍に占領された。この時、原因は不明だが槍の先端部が欠けた。先端部は東ローマ帝国の首都コンスタンティノープル(イスタンブール)に運ばれ、宝石で飾られた十字架の中心部に埋め込まれた。そして、当時キリスト教の教会だったアヤソフィア大聖堂に収められ、80年後には本体も届いた。その後しばらくはここにあった。 さらに600年後、フランス国王ルイ9世が先端部のみを買い取った。槍の先端はパリに保管されるが、フランス革命により行方が分からなくなる。一方、本体は15世紀にイスラム勢力によってコンスタンティノープルが陥落した時もそこに留まった。 1492年、オスマン帝国のスルタンバヤズィト2世は、かつて聖墳墓教会にあったとされる聖槍を教皇インノケンティウス8世に贈った。スルタンの座を狙う弟をイタリアに幽閉してもらうための交換条件だったとされる。この聖槍はサン・ピエトロ大聖堂に保管されているが公開はされていない。
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