鉄道建設とは? わかりやすく解説

鉄道建設

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/12 14:45 UTC 版)

タンド線」の記事における「鉄道建設」の解説

1883年イタリア側の路線の工事クーネオから始まった1889年にはタンドトンネル掘削始まり1898年貫通したフランスでは1900年軍務省ニース-ブレイユ・シュル・ロワイヤ間の着工決めたこの頃イタリアでは、路線経路修正して全線イタリア領内を通るようにすべきだとの提案なされたが、そのためには稜線イタリア側に長大トンネルを掘らなければならないため却下された。一方フランス側では、ソスペル-ブレイユ・シュル・ロワイヤ間の経路短縮するため、グラジヤン山の地下トンネルを掘ることが提案された。このトンネル両端フランス領だが、全長3882mのうち中間の2305mがイタリア領の地下通っているため、建設には両国合意が必要であった1904年6月のフランス・イタリア間の協定で、ニース-クーネオ間を1914年開通させることが定められた。1908年にはロワイヤ川下部分ヴェンティミリアからフランス国境までの工事始められ、また1912年にはニース-ソスペル間のブラウストンネル(5938m)が着工された。 1914年第一次世界大戦の勃発にともないフランス側工事中断したイタリア側ではその後工事続けられたが、1915年オーストリア・ハンガリー帝国との開戦にともない、やはり工事中断した戦後工事再開された。1921年にはスカラスイ、サオルジュの橋梁着工され、ともに1923年完成した

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鉄道建設

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/02 20:52 UTC 版)

八木宣貞」の記事における「鉄道建設」の解説

1912年マデイラ・マモレ鉄道開通したボリビア政府は、マデイラ川挟んで終点駅のあるグアジャラ・ミリン(英語版ポルトガル語版)の対岸位置するボリビア側の町、グアヤラメリンからリベラルタへの鉄道計画していた。ボリビア政府は、この路線建設マデイラ・マモレ鉄道会社要請した計画区間は約45kmと短く鉄道会社調査でも技術的に可能と判断しボリビア側の延長線建設踏み切った延長工事は、1914年1月にグアヤラメリンとリベラルタ両側から始められた。この時、リベラルタ側から工事請け負ったのは、日系移民八木宣貞リベラルタ有力者であったボリビア人のメナチョであった八木宣貞は、日系移民30人ボリビア人30人雇い入れ原始林伐採始めた。しかし、1914年8月下落止まらない天然ゴム価格受けてマデイラ・マモレ鉄道会社延長線工事中止決定した八木回顧によると、工事中止無線伝えられたため、状況確認するために共同経営者のメナチョを、ポルト・ヴェーリョ派遣した。しかし、メナチョは鉄道会社から無断清算金受け取りアメリカ逃亡していた。このため借金返済約束した借用書作成しリマへと戻った

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