日本の自動車技術240選 |
トヨタスポーツ800 UP15
| 空冷水平対向2気筒790 cc エンジンは、45 PS。各部にアルミやアクリルなどを用いボデーを軽量化している。 時速100マイルスポーツカーを大衆の手にという構想により、空冷水平対向2気筒(U型)エンジンと空気力学を重視した機能的スタイルの軽いボデーとの組み合わせで、最高速度155 km/h 、燃費も良く、廉価で使い易い典型的なライトウェイトスポーツカー。 790ccU型エンジンは、45 PS。各部にアルミやアクリルなどを用いボデーを軽量化している。 (スタイル) 前面投影面積を少なくしたりサイドウィンドに我が国初の曲面ガラスを採用するなど空気抵抗を減らすあらゆる工夫を凝らす。 (高速性能) アルミ軽合金の採用による車両重量の軽減と空気抵抗の減少により、最高速度(155km/h)、加速性能(18.4秒)は1クラス上のスポーツカーの性能を上回る。 (高速安定性) ベースになったパブリカのフロントおよびリアサスペンションの改良により高速安定性を向上。 (経済性) 車両重量の軽減と空気抵抗の減少により驚異的な経済性(31km/l)を達成する。 |
| 保管場所 | : | トヨタ博物館 (〒480-1131 愛知県愛知郡長久手町大字長湫字横道41番100号) |
| 製作(製造)年 | : | 1965 |
| 製作者(社) | : | トヨタ自動車工業株式会社 |
| 資料の種類 | : | 量産品 |
| 現状 | : | 展示(静態)・公開 |
| 車名 / 製作 |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 型式 / 重量 |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||
| 車体 / 寸法 |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 車体 / 車軸 / 操縦 / 付属 |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 機関 / 寸法 / 出力 |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ハイブリッド |
|
|||||||
| 駆動系 |
|
|||||||||||||
| 性能 |
|
|||||||
| その他事項 | : | 最低地上高:175mm;前照灯:50/40W 2個;ワイパー:電気式左右連動;足ブレーキ:(前)2L式、(後)L・T式;手ブレーキ:機械式2輪制動;最終減速:3.300(ハイポイドギヤ);最高速度:155km/h(推定);燃費率:31km/L(舗装平坦路最大荷;加速性能ss1/4マイル 18.4秒; |
ウィキペディア |
トヨタ・スポーツ800
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/03/03 01:26 UTC 版)
トヨタ・スポーツ800(トヨタ・スポーツはっぴゃく)とは、トヨタ自動車が1965年から1969年にかけて製造した小型のスポーツカーである。車体型式はUP15。
超軽量構造と空気抵抗の低さで、非力ながら優れた性能を発揮したことで知られる。愛好者からはヨタハチの通称で呼ばれる。
本田技研工業が1963年から生産した、ホンダ・S500に始まるSシリーズとは好敵手として並び称され、1960年代の日本製小型スポーツカーの秀作として評価が高い。
目次 |
沿革
当時トヨタが生産していた最小のモデルである大衆車パブリカのエンジンとシャシーを流用することを前提に、1962年からトヨタの系列会社である関東自動車工業で開発に着手した。開発には、パブリカ開発時の主査で、後に初代カローラの開発でも主査を務めた長谷川龍雄が携わっている。
当初は「パブリカ・スポーツ」の名称で開発が進められ、非力なパブリカ用エンジンで高性能を確保するため、航空機さながらに徹底した軽量化と空力抵抗の抑制が図られた。このためオープンボディながら難易度の高いモノコック構造を採用し、市販型でも重量は僅か580kgに抑えられている。
ボディスタイリング
関東自動車工業の回流水槽で研究を重ねるなどして空気抵抗軽減を重視したデザインを企図した結果、徹底して丸みを帯びた全長3585mm×全幅1465mm×全高1175mmという小さな2シーターボディは、凄みは皆無だが大変愛嬌のある形態となった。空力対策としてヘッドライトをプラスチックでカバーしたその造形は同社の2000GTでのフォグランプ処理を彷彿とさせるが、実際には相似を狙った訳ではない。
原型のスタイリングデザインについては、日産自動車出身で当時関東自動車工業に移籍しており、ダットサン110/210やブルーバード310をデザインした佐藤章蔵が手がけた、と一般に伝えられている。だが長谷川龍雄が後年語ったところによれば、現実のスポーツ800のデザインの大部分は長谷川と関東自動車社内スタッフとが手がけたもので、どちらかといえば直線的デザインを好んだ佐藤が寄与した部分は少ないという。
長谷川は元航空技術者で、第二次世界大戦中は軍用機開発に携わっていた。航空機的な発想は、試作車においてドアの代わりにスライド式キャノピーを採用したことからも伺える。しかし、さすがに乗降や安全性の面で問題があり、市販車では通常型ドアと、より現実的な着脱式のトップとの組み合わせを採用した。ポルシェ・911での同例に用いられていた呼称を流用して、後年「タルガトップ」と呼ばれるようになったが、実はポルシェよりも採用は早い。
エンジン・シャーシ
ほとんどの機器類をパブリカからの流用もしくは強化で賄っている。フロントを縦置きトーションバー式ダブルウィッシュボーン独立、リアをリーフ・リジッドとした基本レイアウトもそのままである。ブレーキもまだ前後ドラムではあったが、さすがにシフトレバーはフロアシフト化されていた。
パワーユニットは、当初、パブリカ用のU型(空冷水平対向2気筒OHV・700cc)エンジン流用が考えられていたが、150km/h以上を企図した性能確保には非力であり、約100ccの排気量拡大とツイン・キャブレター装備によって、790cc,45ps(エンジン形式は2U型)とした。それでもまだ非力としか言いようがなかったが、超軽量空力ボディの効果は大きく、155km/hの最高速度を達成した。同時期に高回転高出力エンジンを700kg級の車体に搭載したホンダのS600とは、対極的な発想に位置する。
販売
1965年3月から市販された。東京地区標準発売価格は59.5万円で比較的廉価に設定されていた。ホンダS600の56.3万円と大差なく、当初から競合モデルとして考えられていたことが伺われる。
しかし、小型といえど2シーターのスポーツカーが大量に売れる程の情勢には至っておらず、日本国外への輸出もほとんど行われなかった。1969年の生産中止までの総生産台数は、3131台に留まっている。
レース活動
日本で自動車レースが盛んに成りつつあった時期の出現であり、好敵手と言えるホンダ・S600の存在もあって、「ヨタハチ」は日本国内の自動車レースで多くの逸話を残した。
高性能エンジンを搭載してとにかく速いが、重く曲がりにくく燃料を食うホンダS600に対し、「ポロポロポロ…」あるいは「バタバタバタ…」と気の抜けた2気筒エンジンの音を立てながら走るヨタハチは、その軽さによって操縦性が良かったことに加え、燃料消費やタイヤ摩耗が少ないため、結果としてピットイン頻度を他車より少なくできるという意外な強みがあった。ことにピットインによるロスタイムが勝敗に大きく影響する長距離レースでは、その「経済車」たる長所が大いに役立った。
「ヨタハチ」による名勝負として伝説的に語られるのは、1965年7月18日の船橋サーキットにおける全日本自動車クラブ選手権レースでの浮谷東次郎の優勝である。
1300CCまでのカテゴリーGT-Iレースの序盤に、雨中決戦で生沢徹のS600のスピンに巻き込まれ、クラッシュによって少破しピットインした浮谷のヨタハチは一時16位にまで後退しながら、その後驚異的な追い上げによって順位を一気に取り戻し、ついには先頭を走る生沢のS600を抜き去り、さらに2位以下を19秒以上引き離し優勝した。
ハイブリッド試作車
トヨタが1965年から研究を進めていたハイブリッドカーの試作車両として、1977年の東京モーターショーにこのスポーツ800のボディとガスタービンエンジン及び電気モーターによるハイブリッドシステムを組み合わせた「トヨタスポーツ800・ガスタービンハイブリッド」を出展している。外観上ではボンネットに大型のエアスクープを備える点でノーマル車と異なっており、エンジン以外の内部機構ではミッションは前進2速となっている。エンジンの公称出力はガソリン車とほぼ同等とされた。
関連項目
| ポータル 自動車 / プロジェクト 乗用車 / プロジェクト 自動車 / プロジェクト バス車種 |

