トヨタ・スポーツ800
トヨタは1961年6月に初代パプリカを発売したが、それをベースとするライトスポーツ車を企画、そのプロトタイプを62年の第9回全日本自動車ショーに参考出品した。パプリカ・スポーツという名称で、スライディングルーフが付いていた。第11回ショーにも参考展示したのち、UP15の型式名を付けて65年4月に市販開始。価格は59万5000円(東京)。ルーフはディタッチャブルトップに変わっていた。
このクルマの狙いは、スポーツカーを多くの人にというところにあり、大メーカーらしくない企画といえた。エンジンは空冷水平対向2気筒OHV・790cc、9.0の圧縮比とツインキャブレーターによって最高出力45ps/5400rpm、最大トルク6.8kg-m/3800rpmを発揮した。ミッションは4速フロア(2~4速シンクロ)で、最高速度155km/h、0→400mは18.4秒といわれた。公表燃費が31km/Lと驚異的だった。
ライトスポーツを成立させるためには車重が軽い(車重580kg)ことと空力的に優れていることが必須で、そのための開発を精力的に推進した。
初のマイナーチェンジを68年3月に実施。外観の変更点はフロントグリル全面にクロムめっき処理を施し、バックライトなども新設した。計器板に防眩処置、2点式のシートベルトアンカーを3点式にするなど、安全性も向上。また、強制空冷用のカバーとエンジン本体との取付け部分に防振材をはさむなど、振動騒音の軽減対策も施した。
このクルマはモータースポーツの世界でも華やかな活躍で脚光を浴びた。最大の出来事は、船橋サーキットで行われたCCCレース(65年7月)での、故・浮谷東次郎による最後尾からの奇跡の大逆転優勝だった。66年1月の鈴鹿500kmレースでも、無給油で走って総合優勝を果たした。
トヨタスポーツ800 UP15
空冷水平対向2気筒790 cc エンジンは、45 PS。各部にアルミやアクリルなどを用いボデーを軽量化している。 時速100マイルスポーツカーを大衆の手にという構想により、空冷水平対向2気筒(U型)エンジンと空気力学を重視した機能的スタイルの軽いボデーとの組み合わせで、最高速度155 km/h 、燃費も良く、廉価で使い易い典型的なライトウェイトスポーツカー。 790ccU型エンジンは、45 PS。各部にアルミやアクリルなどを用いボデーを軽量化している。 (スタイル) 前面投影面積を少なくしたりサイドウィンドに我が国初の曲面ガラスを採用するなど空気抵抗を減らすあらゆる工夫を凝らす。 (高速性能) アルミ軽合金の採用による車両重量の軽減と空気抵抗の減少により、最高速度(155km/h)、加速性能(18.4秒)は1クラス上のスポーツカーの性能を上回る。 (高速安定性) ベースになったパブリカのフロントおよびリアサスペンションの改良により高速安定性を向上。 (経済性) 車両重量の軽減と空気抵抗の減少により驚異的な経済性(31km/l)を達成する。 |
保管場所 | : | トヨタ博物館 (〒480-1131 愛知県愛知郡長久手町大字長湫字横道41番100号) |
製作(製造)年 | : | 1965 |
製作者(社) | : | トヨタ自動車工業株式会社 |
資料の種類 | : | 量産品 |
現状 | : | 展示(静態)・公開 |
車名 / 製作 |
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型式 / 重量 |
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車体 / 寸法 |
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車体 / 車軸 / 操縦 / 付属 |
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機関 / 寸法 / 出力 |
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ハイブリッド |
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駆動系 |
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性能 |
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その他事項 | : | 最低地上高:175mm;前照灯:50/40W 2個;ワイパー:電気式左右連動;足ブレーキ:(前)2L式、(後)L・T式;手ブレーキ:機械式2輪制動;最終減速:3.300(ハイポイドギヤ);最高速度:155km/h(推定);燃費率:31km/L(舗装平坦路最大荷;加速性能ss1/4マイル 18.4秒; |
トヨタ・スポーツ800
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/14 06:58 UTC 版)
トヨタ・スポーツ800(トヨタ・スポーツはっぴゃく)は、トヨタ自動車工業(現・トヨタ自動車)が1965年(昭和40年)から1969年(昭和44年)にかけて製造した小型のスポーツカーである。車体型式はUP15。
注釈
出典
- ^ a b c 『週刊日本の名車』第1号(創刊号)、デアゴスティーニジャパン、2014年、19頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『週刊日本の名車』第1号(創刊号)、デアゴスティーニジャパン、2014年、20頁。
- ^ a b “半世紀過ぎても3分の1が残るヨタハチ…トヨタスポーツ800生誕55周年祭@トヨタ東自大”. レスポンス. (2021年12月13日). オリジナルの2021年12月13日時点におけるアーカイブ。
- ^ 諸星和夫「第2章 パブリカスポーツはこうして創られた」『想いの復元:パブリカスポーツ:トヨタスポーツ800の源流』三樹書房、2015年、14-29頁。
- ^ a b MotorFan編集部 (2021年11月6日). “トヨタ・パプリカスポーツ(1962) 名車「スポーツ800」をうみだしたスタディモデル”. 週刊モーターファン ・アーカイブ (株式会社三栄). オリジナルの2021年11月6日時点におけるアーカイブ。
- ^ 『SUPER CG』31号、二玄社、1995年、42-50頁。
- ^ a b 『月刊自家用車』1965年5月号、内外出版社、1965年、29頁。
- ^ 『当時の耐久レースを戦った「本物のスポーツ800 レーシング」が「スポーツ800 GR CONCEPT」として復活』(プレスリリース)TOYOTA Gazoo Racing、2017年9月19日。 オリジナルの2022年3月29日時点におけるアーカイブ 。
- ^ “トヨタスポーツ800 ガスタービンハイブリッドカー”. トヨタ自動車株式会社. 2021年12月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月30日閲覧。
- ^ “ヨタハチにグッドウッドのギャラリー大喝采!”. 自動車ニュース (株式会社IDOM). (2005年8月11日). オリジナルの2022年3月29日時点におけるアーカイブ。
- ^ “名車「ヨタハチ」、EVになって復活 - 東京オートサロン2010”. 朝日新聞. (2010年1月15日). オリジナルの2010年1月18日時点におけるアーカイブ。
- ^ (動画)“【幻の車】トヨタ パブリカスポーツ走行! トヨタ博物館クラシックカーフェスタin神宮外苑”. Car@niftyTV (2013年11月30日). 2017年9月29日閲覧。
- ^ “トヨタ「パブリカスポーツ」半世紀ぶりに復元”. 読売新聞. (2012年7月14日). オリジナルの2013年10月10日時点におけるアーカイブ。
- ^ 桃田健史 (2016年12月27日). “トヨタ“ヨタハチ(S800)”復活は86では無理?S-FRで独自のFRスポーツ開発へ”. MOTA. オリジナルの2016年12月28日時点におけるアーカイブ。
- 1 トヨタ・スポーツ800とは
- 2 トヨタ・スポーツ800の概要
- 3 概要
- 4 車名
- 5 ハイブリッド試作車
- 6 関連項目
- 7 外部リンク
トヨタ・スポーツ800(ヨタハチ)
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「逮捕しちゃうぞ」の記事における「トヨタ・スポーツ800(ヨタハチ)」の解説
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