現代音楽/地域別の動向 現代音楽/地域別の動向の概要

現代音楽/地域別の動向

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/12 14:23 UTC 版)

西欧・南欧

ドイツ

1950年代のヨーロッパの現代音楽の方向性を決定付けるのに、戦前より開始されたドイツドナウエッシンゲン音楽祭や、戦後に始められたダルムシュタット夏季現代音楽講習会(現在は隔年開催)の果たした役割は大きい。特にダルムシュタットの講習会は、初期にはピエール・ブーレーズカールハインツ・シュトックハウゼンルイジ・ノーノルチアーノ・ベリオなどがここで活躍し、前衛的な音楽を探求した。後にはジョン・ケージジェルジ・リゲティヤニス・クセナキスなど異なる流派の作曲家も参加し、ケージの偶然性などがヨーロッパに伝えられた。その後、ダルムシュタットは1950年代ほどの影響力は持たなくなったものの、後年においてもヘルムート・ラッヘンマンブライアン・ファーニホウなど、シュトゥットガルト音楽大学やフライブルク音楽大学を中心とした次世代の作曲家らが講師陣をつとめ、1980年代の音楽シーンを新たに牽引した。

ドイツでは、ダルムシュタットの他にドナウエッシンゲン音楽祭も重要な現代音楽の発信地として挙げられる。歴史はこちらの方が古く、組織は別だが、取り上げられる作曲家の傾向はほぼダルムシュタットと共通性がある。ドナウエッシンゲンを主催しているのは南西ドイツ放送(SWR)で、放送(海外放送局への録音配布も含む)や録音メディアの販売により、その活動は諸外国にもよく知られている。

ドイツではダルムシュタットやドナウエッシンゲンに限らず、この他にもドイツ全国に30余りある州立音楽大学、150近い管弦楽団、100近いオペラハウス、10以上の独立した公共放送による13の放送交響楽団と管弦楽団、多数の音楽祭などが、作曲家への委嘱などを通して常に優れた作品を生み出しつづけている。

その一方、東西分断時代に共産圏であった旧東ドイツは、旧西ドイツとはまったく異なる作曲活動を余儀なくされた。ドレスデンで活躍した作曲家・指揮者のヘルベルト・ケーゲルは東西ドイツ統一後に自殺した。その原因については、社会主義の終焉に絶望したためという説もあるが、真相は不明である。しかしこの地域にもパウル=ハインツ・ディートリッヒなどの優れた作曲家がいる。

1970年代生まれの作曲家には、ペーター・ガーンとズベン・インゴ・コッホがおり、両者ともに日本に公的に紹介されている。1980年代生まれの作曲家にはヨハネス・クライドラー、ベンヤミン・ショイアー、コンスタンチン・フォイアー、トビアス・クリッヒなどがいる。

ドイツ語圏

ドイツ現代音楽の潮流は、広義としてはドイツおよびオーストリアスイスのドイツ語圏を含むと考えてよい。

スイス出身の作曲家としては、クラウス・フーバーや、オーボエ奏者としても世界的にその名を知られるハインツ・ホリガーらがいる。彼らはドイツのフライブルクで教職を勤め、フーバーはブライアン・ファーニホウ細川俊夫を教えた。また、バーゼル音楽大学のユルグ・ヴィッテンバッハは、長年にわたり作曲家ピアニスト指揮者として活動し、以前から知られている。ピアニストのマリアンネ・シュレーダーも作曲活動を開始している。

ウィーンでは、戦前の新ウィーン楽派の功績がまず挙げられるが、より現在に近いところでは、ポーランド人作曲家のローマン・ハウベンシュトック=ラマティが、ウィーン音楽院で多くの作曲家を育てた。なかでも、その弟子でスイス出身のベアート・フラーは、優秀な現代音楽アンサンブル、クラングフォラム・ウィーンを結成し、グラーツ音楽大学で教え、ウィーンを中心に新たな潮流を生み出している。同じくスイス出身の、クラウス・フーバーの弟子のミカエル・ジャレルも、現在ウィーン音楽大学と故郷のフランス語圏のジュネーブ音楽院で教鞭をとっている。また、指揮者クラウディオ・アバドが提唱した現代音楽祭「ウィーン・モデルン」もよく知られている。オーストリアの公共放送はORF一局のみだが、ウィーン放送交響楽団を初めとして、ウィーンの放送局の中で常に完全無料の公開初演を行い、「オーストリア・1(アインツ)」のFM放送で一年中放送されている。

ザルツブルクでは、ポーランド出身のボグスワフ・シェッフェルが、モーツァルテウム音楽大学で電子音楽のゲルハルト・ヴィンクラーや、ザルツブルク・シンフォニエッタ・ダ・カメラの主宰者・指揮者で自ら作曲コンクールも企画しているペーター・ヴィーゼン=アウアーなどを教えた。シェッフェルの退官後はシュヴァツで夏期講習を開催し、多くの弟子を輩出している。ザルツブルク音楽祭は近年ジェラルド・モルティエ以降、現代音楽が盛んになった。

フランス

フランスでは、戦後よりオリヴィエ・メシアンがパリ音楽院で教鞭をとり、多くの作曲家を育成した。その弟子の一人で、戦後現代音楽の最重要作曲家の一人であるピエール・ブーレーズは、現代音楽アンサンブル、ドメーヌ・ミュジカルを組織し、演奏会などを通じて前衛音楽を多数紹介した。この活動は後に、IRCAM所属のアンサンブル・アンテルコンタンポランによって引き継がれている。「メシアン門下になることは少数派につくことを意味した」というブーレーズの発言に見られるように、この活動は決して平坦な道のりではなかったようだ。メシアンがパリ音楽院の作曲科の教授に迎えられたのは1960年であり、それまでは理論系の別の科を渡り歩いていた。

現在では、ブーレーズが初代の所長を務めた電子音響音楽研究施設IRCAM(イルカム、1976年より)を中心として、ジェラール・グリゼートリスタン・ミュライユ(現ザルツブルク・モーツァルテウム大学教授)をはじめとするスペクトル楽派と呼ばれる作曲家が、電子音響あるいは音響学的な分析を応用した作曲活動を行っている。スペクトル楽派の影響はフランスという一つの国籍に縛られず、むしろIRCAMで学んだ多国籍の作曲家に影響を与えている(詳しくはスペクトル楽派の項を参照)。

また一方で、ヤニス・クセナキスUPICを開発したCEMAMu(スマミュ、現在の名称はCCMIX)や、ラジオフランスの研究施設INA-GRM(イナグラム)で活動する作曲家の一部は、スペクトル音楽とは別の方向性を探っている。代表的な作曲家にリュック・フェラーリがいる。ただしIRCAMINA-GRMの双方の組織にかかわる作曲家は、自由にそれらの長所を使い分けている。

ほかに、これらの流れに与しない存在としてパスカル・デュサパンが活躍している。デュサパン以降の若手では、レジス・カンポのように、グリゼーに師事しながら全く別の語法を探る作曲家もいる。マルク・モネも、エレクトロニクスを駆使したユーモア色の強い作風で知られている。

その一方で、国外への影響力は薄いものの、クロード・バリフ、アラン・バンキャールジャック・ルノオリヴィエ・グレフブリス・ポゼニコラ・バクリ、ティエリー・ランチノらのように、エクリチュール(書式)の完成度の格調と音色美を誇る「フランスの古き良き伝統」を継承する流派も今日まで続いている。教会音楽の分野で、近代からのマルセル・デュプレシャルル・トゥルヌミールモーリス・デュリュフレらの伝統を受け継ぐ流れとしてティエリー・エスケシュの名が挙げられるし、世俗的諧謔性とフランス室内楽の精神(エスプリ)を併せ持つ流れとして、近代からのジャック・イベールジャン・フランセを引き継ぐジャン=ミッシェル・ダマーズの名が挙げられる。いずれも、いわゆる「現代音楽」と呼ばれる音楽の書法から見れば古典的だが、彼らは、現代においても脈々と受け継がれている伝統的楽派である。

現在は10回余りの国境を越えた再演を賞とするアンサンブル・アレフ主催国際作曲フォーラムなどで更に若手の国際的作曲家の発掘に余念がない。

イタリア

イタリアではルチアーノ・ベリオブルーノ・マデルナルイージ・ノーノのような先駆者の後に、1930年代生まれの作曲家から次々に独創的な作曲家が出現した。ダヴィデ・アンザギ、シルヴァーノ・ブッソッティニッコロ・カスティリオーニ、フランチェスコ・ペンニージ、アルマンド・ジェンティルッチらの存在が挙げられる。アツィオ・コルギ、カミロ・トンニは名教師としても知られた。

戦後生まれのイタリアの作曲家で、最もよく知られているのは、1947年生まれのサルヴァトーレ・シャリーノである。独学で学んだシャリーノは、フランコ・エヴァンジェリスティに見出され、1970年代に斬新な音色感に溢れた作品を数多く書き、その名を知らしめた。2004年時点でシャリーノの作品のCDが複数のレーベルから21枚も発売、その後もリリースが絶えることがない。ノーノが日本のサントリー音楽財団から委嘱を受けた際、次世代の有望な作曲家として紹介した作曲家は彼である。

その後、イタリアの作曲家たちには「斬新さ」や「新しさ」といった側面があまり見受けられない傾向が進んだ。ファブリチオ・デ・ロッシ・レ、ルカ・ベルカストロジョルジォ・コロンボ・タッカーニといった1960年代生まれの作曲家たちには、シャリーノのような斬新さはない。近年は、リッカルド・ヴァリーニやエマヌエーレ・カザーレといった中堅が活躍している。現在はステファノ・ジェルヴァゾーニ2006年度以降パリ音楽院教授)やマルコ・ストロッパ(現シュトゥットガルト音楽大学教授)のように、国外で教職に付き、イタリアへ逆輸入する形式で創作する者も目立っている。

第2次世界大戦前生まれの世代では、ジャチント・シェルシフランコ・ドナトーニが特に良く知られている。シェルシは退院後、フランスのジェラール・グリゼーなどへ指導を行うかたわら、マイペースで作曲活動を行った。そのためイタリア国内では時折紹介されるという形が続いていたが、世界にその名が知られるようになったのは1980年代に入り、ケルンのISCM音楽祭でハンス・ツェンダーが一連の管弦楽曲を指揮してからである。彼のアシスタントを務めたことのある作曲家は、アルド・クレメンティを始めとして数多い。ドナトーニは前衛の時代から活発な創作活動を行っていたが、1977年に「自己否定のオートマティズム」と呼ばれる手法に辿り付いて以来、この方法で作品を多作した。

ドナトーニも亡くなり、名教授ソッリマも没し、イタリア現代音楽を支えた人物の多くは亡くなりつつある。現在はアンドレア・ポルテラ、ロベルト・ルスコーニ、ヴァレリオ・ムラート、オスカル・ビアンキ、アンドレア・サルト、アレッサンドラ・ベッリーノほかの1970年代生まれの戦後以後世代の躍進が目立っている。

イタリアはかつて音楽学校のディプロマは卒業証書ではあっても学位と認められなかった[1] ため、大学とダブルスクールを余儀なくされた作曲家も多い。こうしたことから、イタリアのプロ作曲家はかなりのエリート集団とみなされている。現在はボローニャ協定で音楽学校のディプロマが学位として認可されることになり、今後もこの潮流が継続するのかは不明である。

オランダ

オランダは前衛音楽に対する拒絶がない国と言われる。それは、ガウデアムス財団の若手作曲家への支援に現れている。かつてイギリスは保守的であったため、マイケル・フィニスィーなどの多くのイギリス人作曲家がオランダへ移り、作品発表を行った。現在も、母国を離れてオランダで活動する作曲家は多い。一方で、アントワーヌ・ボイガーのように国外に移住する作曲家もいる。

オランダでは、同国の現代音楽の黎明期にアルチュール・オネゲルの門下生、シメオン・テン・ホルトがその名を留めている。ホルトは現在も創作活動を行っており、際限のない反復語法を師から受け継いだ後は独自のミニマル書法を展開している。

ルイ・アンドリーセンは、即興音楽を図形楽譜で表現する手法で知られたが、1970年代以後は商業音楽との境界を突き崩し、「物質」四部作により一世を風靡した。現在もオランダ楽壇で影響力を持つ。

マータイン・パディング、フバ・デ・グラースらの中堅世代から、ミヒャエル・フォン・デル・アー、メリーン・トヴァールホーフェンらの若手の世代に至るまで、前衛的様式と古典的様式を折衷させる傾向の者が多かった。各世代に共通して見られる反復語法は、20世紀のオランダ人画家のマテリアルの配置からの影響と見る、つまり「視覚的な印象をそのまま作曲へ」反映させていると考えることが出来た。

2000年代に入ると、様々な国からの留学生を受け入れるようになり、オランダの現代音楽は留学生を通じて国際的な広がりを見せたと言われている。しかし、リーマン破綻以降のオランダの財政は大きくがたついており、今後もまとまった支援ができるのか極めて不透明である。 また、国際現代音楽協会の本部は、現在はオランダ・ユトレヒトにある。

ベルギー

ベルギーはかつては極めて保守的な空間[注釈 1] と言われていたが、シュトックハウゼンとともにピアノを弾いたカレル・フイヴァールツが前衛音楽の第一号である。

その後、エリザベート国際音楽コンクールのための課題曲を作曲したジャン=リュク・ファフチャン、入野賞を受賞後ロシアから亡命したヴィクトル・キッシン、エレクトロニクスを駆使するステファン・プリンズなど中堅から若手までの個性は各国のヨーロッパの影響がブレンドされており、聴きやすい音色の持ち主が多い。

なお、現在のヴェテランにはリュク・ブレウェイスがおり、彼はダルムシュタット講習会でピアニストとしてデビュー後作曲家としてトリエステ賞を受賞し、ドビュッシーの前奏曲集全曲のオーケストラ編曲で知られていた。そのブレヴェイスも亡くなり、前述のプリンズはISCM Young Composers' Awardを制したところを見ると、ベルギーは若手にバトンが手渡された印象を与えている。ただし、もともとの人口がそもそも少ないため、現代音楽に身を投じる人物があふれるほどではない。

イギリス

イギリスは、ハリソン・バートウィッスルやピーター・マックスウェル=ディヴィスら、前衛的様式とは距離を置く作曲家が著名である。しかし、ブライアン・ファーニホゥのフランスデビュー以後、ジェイムズ・ディロンマイケル・フィニスィーリチャード・バーレット、サイモン・ホルトに代表される新しい複雑性と呼ばれる傾向の作曲家が次々現れたほか、クリス・ニューマンのような特異な個性を持つ作曲家も登場した。また、フランスのIRCAMの影響を受けたジョナサン・ハーヴェイジョージ・ベンジャミンも知名度が高い。

その一方で、古典的な音楽への聴衆の支持は厚い。マイケル・ナイマンマーク=アンソニー・タネジトーマス・アデスらは一般にも人気が高い。日本の吉松隆がレコード会社シャンドスのレジデンスド・コンポーザーとして迎えられたのも、こうした層の需要があるからである。

スペイン・ポルトガル

スペインの現代の代表的な作曲家として、かつてシュトックハウゼンのアシスタントを務め、コンクールの審査員を務めたことも多いトマス・マルコ、指揮者でもあるクリストバル・アルフテル(伯父の(エルネスト・アルフテルも作曲家)、武満徹により日本でも度々紹介されたルイス・デ・パブロバルセロナで活躍するホセ・ルイス・デ・デラスらが知られる。

一方、ポルトガルでは、ジョリー・ブラガ・サントス(1924-1988)や、シュトックハウゼンのアシスタントを務めたホルヘ・ペニショがいた。サントスの「スタッカート・ブリランテ」作品63はリスボン・メトロポリタン・管弦楽団の重要なレパートリーである。一方、国際的な知名度が高いエマヌエル・ヌネスは、長らくフランスのパリ音楽院で教えたのち定年退職した。

経済的に厳しくなると同時に、イベリア半島も有力な若手が進出しにくくなっている中、ルイ・ペンハはISCM大会でデビュー、ルイ・アンチュヌス・ペナはマルチラーノ国際作曲賞で優勝し、地味ではあるが個性的な作品で話題を集めている。

ギリシャ

ギリシャはヤニス・クセナキス、アネスティス・ロゴティーティスを除いては世界的に著名な作曲家は少ない。しかし、国内に帰り、大衆をひきつけているミキス・テオドラキスは、ポピュラー音楽の分野で最近は世界的に注目を浴びている。

同世代で1926年エジプトで生まれたギリシャ人のヤニ・フリストウは自身の大変大胆な管弦楽作品「Enantiodromia」で歴史に残るような仕事をしたが、1970年に交通事故で死去した。若い世代では、パリ在住のジョルジュ・アペルギスなどがいる。

現在は、パナヨティス・ココラスと、パリのアンサンブル・アレフ作曲コンクール入賞の経歴を持つフランス在住のアタナシア・ジャノウが、若手作曲家の中では特に知られる。近年はマスタークラスや作曲コンクールもギリシャで定期的に開催されるようになった。ココラスは渡米して後進の育成に努めているが、ジャノウは日本の新日本フィルハーモニー交響楽団から委嘱を受けるなど、活動領域を拡大している。ニコラス・ツォルツィスは入野賞のため来日も果たしている。このほか、リナ・トニア[注釈 2] もイギリスで研鑽を積んだ後に帰国、個性的な作曲で知られる。

中欧・東欧

中欧・東欧はソ連・スターリン政権の下、文化活動についても制限が加えられていた。しかし、こうした圧政はスターリンの没後に緩和された。

ポーランド

詳しくは、ポーランドの現代音楽の項を参照。

ポーランドは戦後まもなく、ソヴィエトの影響により社会主義リアリズムが強制された。しかし、共産圏ではいち早く方針転換し、前衛的な活動が認められるようになると、ヴィトルド・ルトスワフスキクシシュトフ・ペンデレツキなど第一次ポーランド楽派と呼ばれる作曲家たちが現れ、次々と西側に紹介された。

その後も、現代音楽祭ワルシャワの秋では若手作曲家紹介の日が満席になるなど、新しい創作への聴衆の関心は高い。この他、ムジカ・ポロニカ・ヴィヴァも数十年にわたって続けられている。

クロアチア

クロアチアの作曲家で、現在国際的な知名度があるのは、長年シュトゥットガルト音楽大学で教えたミルコ・ケレメンである。アメリカにも知名度があり、アドリアーナ・ヘルツキーやブライアン・ヴォルフなどの弟子がいる。退職後はサグレブ・ビエンナーレの総監督も務めている。

ハンガリー

現代のハンガリーを代表する作曲家として、ジェルジ・リゲティとジェルジ・クルタークの2人が挙げられる。リゲティはオーストリアへ亡命し、その後一作ごとに新たな作曲理論を模索しつつ、常に作風を変化させながら作曲した。現在では真に20世紀後半を代表する作曲家の一人と見なされている。一方クルタークはハンガリーに在住し、ポスト・ウェーベルン的な傾向から新たな音楽語法を紡ぎだした。この2人よりも若い世代では、ペーター・エトヴェシュが作曲家および指揮者としても活躍しているが、現在既に65歳を超えている。

ルーマニア

現代ルーマニアの作曲家で、国際的な知名度の高い人物は、ドイナ・ロタルとディアナ・ロタルの母娘、ドイツシュトゥットガルトに家族で移住し、名声を博したアドリアーナ・ヘルツキー(現・ザルツブルクモーツァルテウム教員)、ドイツ在住のヴィオレッタ・ディネスク(現・ドイツのオルデンブルクの大学教員)らがいる。また、イアンク・ドゥミトレスクホラチウ・ラドゥレスクは、ルーマニア版スペクトル楽派と呼ばれ、国際的に高い評価を受けているが、2人とも活動の場を海外に移している。それより若いカルメン・マリア・カルネッチはフライブルククラウス・フーバーで学んだ指揮もする作曲家であるが、最近はドイツイタリアでの活動を切り上げて故国に戻っている。

アルバニア

アルバニアでは、国際コンクール入賞多数の経歴を持つトマ・シマクがいるが、現在はアルバニアを脱出し、イギリスのヨーク大学で教鞭を取っている。

ブルガリア

EU化以後、近年若い作曲家が多く台頭している。ボジダール・スパソフやコンスタンティン・イリエフ、ボジダール・ディモフ、ウラディミール・デヤムバツォフ、トードール・クルストなどがいる。

非常に地味ではあるが、スパソフ国際作曲コンクールは賞金がかなり少ないにもかかわらず3年おきに実施(前回は2013年)されており、年齢制限もないので多くの国籍の精鋭が集まりつつある。

チェコ

レオシュ・ヤナーチェクの没後、ボフスラフ・マルティヌーなどの多くの優れた音楽家が、大戦中はナチス政権、戦後は共産政権のために国外での活動を余儀なくされた。近年ではマレク・コペレントやマルティン・スモルカなどの作曲家が佳品を創作している。

2010年代の若手にはタンスマン国際作曲コンクールを制したオンジェイ・アダメクと、チェコ国際現代音楽祭のディレクターを務めたペトラ・バクラが輩出されており、前者はアルディッティ弦楽四重奏団が取り上げるなど、活動範囲を大きく広げる逸材として期待されている。

スロバキア

スロヴァキアは、Jana Kmiťováが武生に招かれて来日を果たした。[2][3] 彼女は細川のセミナーで賞を受け、のちにベアート・フラーミカエル・ジャレルに師事しており、国内よりはオーストリア日本における活躍が目立った。21世紀は初のISCM共催も実現したが、国家が貧しく単独開催ができなかったことにも表れているように、チェコから切り離されたスロヴァキア単体の活力は大きくはない。


注釈

  1. ^ パリ音楽院を追われたフェティスブリュッセル音楽院に就任以後、保守的な音楽文化が保たれていた。
  2. ^ 本名はトニア・エヴァンジェリアだがステージネームを使っている。
  3. ^ 大学の副専攻はジャズボーカルだった。公式サイトを参照。
  4. ^ この理由には諸説あるが、ヨシフ・スターリンをはじめとして共産党幹部はピアニストとのかかわりが深く、つながりを持ったピアニストのレパートリーに介入はしなかったと考えられている。その一例にスターリンに気に入られたマリア・ユージナがいる。彼女は新ウィーン楽派のピアノ作品の演奏を唯一許可されている。
  5. ^ 京都会館で行われた、山田一雄指揮による「現代音楽の夕べ」など。

出典

  1. ^ ミラノの実態”. www.andvision.net. www.andvision.net. 2022年1月6日閲覧。
  2. ^ iscm”. www.iscm.org. www.iscm.org. 2022年1月6日閲覧。
  3. ^ jana-kmitova”. hc.sk. hc.sk. 2022年1月6日閲覧。
  4. ^ A Short History of Fylkingen”. hz-journal.org. hz-journal.org. 2022年1月6日閲覧。
  5. ^ Jamilia Jazylbekova”. www.theaterheidelberg.de. www.theaterheidelberg.de. 2021年1月6日閲覧。
  6. ^ コロンビア楽派”. mfujieda.exblog.jp. mfujieda.exblog.jp. 2022年1月6日閲覧。
  7. ^ International Composition Competition”. www.garthnewel.org. www.garthnewel.org. 2022年1月6日閲覧。
  8. ^ JCMR KYOTO vol.6”. kyoto-artbox.jp. kyoto-artbox.jp. 2022年1月6日閲覧。
  9. ^ ems”. koji.music.coocan.jp. koji.music.coocan.jp. 2022年1月6日閲覧。
  10. ^ Jeunesses International Music Competition”. jmevents.ro. jmevents.ro. 2022年1月6日閲覧。
  11. ^ 尹伊桑管弦楽団・指揮者キム・ホユンさん”. www1.korea-np.co.jp. www1.korea-np.co.jp. 2022年1月6日閲覧。
  12. ^ Darmstadt2014”. internationales-musikinstitut.de. internationales-musikinstitut.de. 2022年1月6日閲覧。





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