現代音楽/地域別の動向 東アジア

現代音楽/地域別の動向

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/08 16:03 UTC 版)

東アジア

本格的な現代音楽の胎動は第二次世界大戦以後になるが、それ以前から日本と中国はクラシック音楽の演奏は行われており、同時代の影響を咀嚼した人材は輩出されていた。

日本

前衛世代

戦後当初の日本の楽壇ではドイツ系諸井三郎門下の「新声会」およびフランス系池内友次郎門下の「地人会」をはじめとする流派が主流と見られていたが、その枠組みの外では松平頼則清瀬保二ら新作曲派協会の活動、実験工房出身の武満徹湯浅譲二、鈴木博義らの活動(武満と鈴木は新作曲派協会にも参加)がより前衛的な語法を目指し活動していた。また、黛敏郎によるあらゆる西洋前衛語法の模倣と紹介や、後には一柳慧らによるジョン・ケージなど実験主義の音楽の紹介などによって、ヨーロッパやアメリカの前衛音楽を吸収していった。

また1957年からは二十世紀現代音楽研究所による軽井沢現代音楽祭が計3回開かれ、ヨーロッパの前衛現代音楽が次々と紹介された。作曲コンクールも行われており、後の電子音楽の巨匠となったローランド・カイン、武満徹松下眞一が受賞者に名を連ねている。この催しは既にドイツのダルムシュタット夏季現代音楽講習会およびドナウエッシンゲン音楽祭を強く意識しており、後述する秋吉台国際20世紀音楽セミナー&フェスティバルを歴史的に先取りするものである。また1960年からの草月アートセンターによる現代音楽演奏会草月コンテンポラリー・シリーズもヨーロッパおよびアメリカの最新現代音楽シーンを紹介し続けた。

1964年からは邦楽器ブームが起こり、日本の西洋系現代音楽の作曲家の間で邦楽器を使った現代邦楽作品が多数作曲される。特に武満徹の「ノヴェンバー・ステップス」(琵琶尺八オーケストラのための)は国際的にも広く認知され、この分野で最も成功を収めた作品である。後には邦楽器ブームは近世邦楽のみならず雅楽の楽器にも広がり、国立劇場の委嘱活動として雅楽の編成を用いた現代雅楽作品が黛敏郎武満徹カールハインツ・シュトックハウゼンらにより作曲される。1970年には大阪万博が開かれ、大掛かりなテープ音楽の上演を含む多くの催しが行われた。この万博をもって日本の現代音楽、さらに日本の前衛現代芸術はひとつの頂点を迎える。日本中のゲーテ・インスティチュートで「日独現代音楽演奏会」が行われていたのも、このころであった。

これらの催しはすべて東京あるいは首都圏に住まいを持つ者だけで行われており、全国的な広がりをもたなかった。例外的に関西で散発的に現代音楽のコンサート[12]が行われていたが、定着しなかった。松下眞一は数回ほど関西でコンサートを開いた後、ハンブルクへ移住した。

戦後世代

前衛の停滞期以後、日本ではマニエリスムが先行し実験主義の音楽と呼ばれる実験主義による次世代(かつての前衛世代以後)のヨーロッパ前衛音楽はなかなか認知されなかった。しかし、ダルムシュタット夏季現代音楽講習会の日本版を意図して細川俊夫が主催した秋吉台国際20世紀音楽セミナー&フェスティバル1989年 - 1998年)によってヨーロッパのエクスペリメンタリズムの音楽が次々と紹介され、さらに、1960年代生まれ以降の作曲家を中心に、日本の作曲家の潮流として秋吉台世代という新たな枠組みを生み出した。現在は別組織武生国際作曲ワークショップ(監督はやはり細川俊夫)によって類似の活動が行われている。

「日独現代音楽演奏会」は東京ではなく、関西ドイツ文化センター(現、京都ドイツ文化センター)で行われるようになり、多くのドイツ人の作曲家がここで講演会とコンサートを行った。これが初来日になったドイツ人の音楽家も多い。1980年代から現代音楽は関西、名古屋(アンサンブル・トゥデイ)などの首都圏以外の広がりを見せるようになる。

またその他にも同じベルリンで勉強した電子音楽作曲家の嶋津武仁とその弟子たちによる前衛音楽の活動、東京学芸大学で教鞭をとった吉崎清富門下生らの活動も、秋吉台世代武生世代との対立軸をなす一つの大きな潮流になり、楽壇に次第に強い影響を与えつつある。現在では現代の波‐現代音楽祭(終会)、京都・若い作曲家による連続作品展(終会)、日伊現代音楽交流会(休会)、日独現代音楽演奏会(閉会)、九州現代音楽祭(継続中)、札幌現代音楽展(休会)、プレゼンテーション(継続中)などの催しは2000年代中庸まで継続しており、日本全体の潮流は常によりよい細分化を目指していた。

日本においては、機械的な処理を必要とする現代音楽に対し「NHK電子音楽スタジオ」の設置やその他の支援によって多くの実験的作品が作られ、FM放送番組「現代の音楽」などでも定期的に紹介されるなど、NHKが果たした役割は大きい。アメリカの現代作曲家のトップレベルに位置するデアリ・ジョン・ミゼル、マイケル・ピサロ等の紹介が遅れ、イアニス・クセナキスポーランド楽派の紹介が驚異的に早かったのは、第二次世界大戦における敗戦が原因とみられる。

現在も、松平頼則が逆輸入の形で日本に紹介された様に、かなりの若手作曲家も逆輸入の形で日本に紹介される。世界初演を日本国内で行うと個人の経済的負担が大きいため、公的資金により海外で初演された後に日本初演されることもある。

1980年代以降の世代

国際コンクールでの受賞後に国内コンクールへ出品する作曲家が増加したと言われており、1980年代生まれの木山光は20歳前後で頭角を現し、ガウデアムス国際現代音楽祭に4度招待されている。

また、現代音楽とは本来無縁といって差し支えなかった合唱吹奏楽の分野にも、現代音楽の技法を用いて作曲する作曲家が増えている。合唱団体「ヴォクスマーナ」は多くの現代音楽の作曲家へ委嘱しており、従来の合唱音楽では見られなかった音響を伴う音楽を世に広めている。

21世紀音楽の会も年一回ではあるが、比較的若い世代の作品発表が継続されている。2010年代に入ると「前衛の遺産」を振り返ることが大学・民間問わず行われるようになり、八村義夫室内楽作品全曲演奏会[13]は、京都で行われた。また、電子音楽のスタディーズ[14]も同じく京都で行われている。

中国

近年の政府の情報統制に伴い、中国の若手作曲家はまだまだ長い文化的重圧に苦しめられている。愛国心は必須であり中国版社会主義リアリズムといえるが、実際は反政府的な政治音楽以外は事実上容認されている。

一方アメリカに出た中国出身の譚盾(タン・ドゥン Tan Dun)は、20歳の時にフィラデルフィア管弦楽団の演奏で初めてベートーヴェン交響曲第5番を聴いて西洋音楽に関心を持ち、ニューヨークのコロンビア・アーティスト(CAMI)の後ろ盾もあって、世界的に通用する作曲家に挙げられている。またドイツ留学系では北京音楽院の同世代で映画音楽が主で坂本龍一と一緒にオスカー賞をもらったコン・ス、や日本でのハープの国際作曲コンクールの受賞歴があるヴァン・フェィ、台湾出身の女流李美満(リ・メイマン)やシャウナン・パンなどが挙げられる。

そのほかブザンソン国際作曲コンクールおよびウディネ市国際作曲コンクール優勝のレイレイ・チャン、レイ・リャン、ファン・ルオ、ルクセンブルク国際作曲コンクール第二位のリン・ワン、デュティユ国際作曲コンクール、l'Academie de Lutèce国際作曲コンクール、ICOMS国際作曲コンクールの全てを優勝で制したミュシェン・チェン(かつては、ビャオ・チェン名義で活動)らも世界的な評価を受けている。ここで挙げた音楽家は経済的に恵まれているか、両親が音楽家である者が多い。中国は現代音楽の教育体制が十分ではなく、充実した教育を受けるには海外へ留学する必要があった。

一方でそのような財力や環境を持たない若い作曲家は、国内で自由に情報を得ることが困難である。だが、シュトゥットガルト音楽大学エアハルト・カルコシュカやロルフ・ヘンペル、ポーランド作曲界の重鎮ツィグムンド・クラウツェなどの来中により、少しずつ最先端の音楽情報が浸透し、最近ではインターネットによる情報〔譜面や音〕入手もごく容易になってきた。晩年の石井眞木は、中国での現代音楽の普及に尽力していた。

近年、大学が当局に許可を得て国際コンクールを開催することが可能になった。その一つが「四川音楽学院主催若手作曲家対象国際コンクール」である。中国語圏は近年国際作曲コンクールに力を入れており、Jinji Lake国際音楽コンクール作曲部門、Harbin国際音楽コンクール作曲部門、Chinese Music Without Bounds International Composition Competitionほかが新設の作曲賞として挙げられる。

台湾

台湾は、ヘルムート・ラッヘンマンに師事した最初の台湾人であるパン・ファオ・ロンとその弟子で後にラッヘンマンの弟子でもあるリ・メイマンが国際的に知られた。彼は1970年代まで現代音楽の情報を「全く」知らなかったことが音声ファイルで確認できるが、ダルムシュタット夏季現代音楽講習会に参加し、その個性が花開いた。1980年代以降は文化統制らしきものも見当たらず、独自のアジア音楽を探索するものが現れる。マウリツィオ・カーゲルに師事したチャオ・ミン・トゥンは、リコーダーアンサンブルの為の極めてアジア的な感性に基づく音楽を書いた。また打楽器奏者でもあるユーエン・チェンも作曲家としても活躍している。

香港

香港はイギリスから1997年に返還されるまでは、比較的現代音楽の受容には寛大であった。ISCM世界音楽の日々も行われている。返還以降の中国政府の介入は当然予測されたが、現在のところ組織的検閲は行われておらず、リチャード・ツァンが中国人の血を引いていることもあり、オーケストラからソロまで現代音楽の演奏は行われている。

最年少の世代にジュネス・ミュジカル・ロマニア国際作曲コンクールで優勝したチャン・セ・ロク[15]をあげることができる。香港作曲家協会で彼女の名を見つけることができる。

韓国

韓国を代表する作曲家として、真っ先に名前が挙がるのは尹伊桑イサン・ユン)である。弟子である韓国在住の姜碩煕スキ・カン)も、地元の韓国で早くから名前が知られている。陳銀淑(英:Unsuk Chin、ジン・オンソク)はその弟子としてまたリゲティの教え子として国際的に名がある。

一方ユンとは違う師弟関係で出てきた、ヨンギー・パクパーンクラウス・フーバーの弟子で現在の妻であるが、傾向としてはすでにアカデミックとなってきたユンの態度と同じ歩調を取っている。その他、ヘルムート・ラッヘンマンとニコラウス・A・フーバー側から出てきて日本にもかなりなじみが深く日本語に近い方言が喋られる釜山出身のクンス・シムも、ヨーロッパでよく知られた存在である。

韓国は近年日本やヨーロッパ、アメリカの国際作曲賞の多くに精鋭を送り出しており、1970年代生まれ全体ではロシア・東ヨーロッパについで韓国の受賞率が高く、きわめて高水準の作品を世に送り出し続けている。留学組が帰国し、その帰国した人物からの指導を受けた人材と考えられる。受賞後に韓国を後にして、ヨーロッパに永住するケースも多い。

北朝鮮

現代音楽の語法を参照しながら作曲している人物は、存在が確認されているが、情報解禁が進んでいないため、その詳細は不明である。北朝鮮は西洋音楽の受容に対しては一定の理解を見せており、金元均名称平壌音楽大学朝鮮民主主義人民共和国国立交響楽団をはじめとする諸機関・団体において作曲と演奏の両面で研究は行われている。

また、平壌には「尹伊桑音楽研究所」という研究所が存在し、キム・ホユン率いる尹伊桑管弦楽団が、尹伊桑の作品を含む様々な現代音楽を演奏・研究している[16]。過去に、音楽雑誌『TEMPO』で、朝鮮半島全体の現代音楽の状況について触れた号がある。




  1. ^ [1]
  2. ^ パリ音楽院を追われたフェティスブリュッセル音楽院に就任以後、保守的な音楽文化が保たれていた。
  3. ^ 本名はトニア・エヴァンジェリアだがステージネームを使っている
  4. ^ iscm
  5. ^ information
  6. ^ Music Since 1900
  7. ^ [2]
  8. ^ 大学の副専攻はジャズボーカルだった。公式サイトを参照
  9. ^ この理由には諸説あるが、ヨシフ・スターリンをはじめとして共産党幹部はピアニストとのかかわりが深く、つながりを持ったピアニストのレパートリーに介入はしなかったと考えられている。その一例にスターリンに気に入られたマリア・ユージナがいる。彼女は新ウィーン楽派のピアノ作品の演奏を唯一許可されている。
  10. ^ [3]
  11. ^ (Left coast EnsembleEarplay ECCE Ensembleなど)
  12. ^ 京都会館で行われた、山田一雄指揮による「現代音楽の夕べ」など
  13. ^ JCMR KYOTO vol.6
  14. ^ [4]
  15. ^ [5]
  16. ^ [6]
  17. ^ プログラム





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