大宛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/07 15:55 UTC 版)
参考文献
- 『史記』(大宛列伝)
- 『後漢書』(西域伝)
- (『三国志』)『魏略』(西戎伝)
- 『晋書』(四夷伝)
- 『魏書』(西域伝)
- 『北史』(西域伝)
- 『隋書』(西域伝)
- 『旧唐書』(西戎伝)
- 『新唐書』(突厥下、西域伝下)
- 玄奘 著、水谷真成 訳『大唐西域記』平凡社、1999年。ISBN 4582806538。
- 岩村忍『文明の十字路=中央アジアの歴史』講談社、2007年。ISBN 9784061598034。
- 小松久男『中央ユーラシア史』山川出版社〈世界各国史4〉、2005年。ISBN 463441340X。
注釈
- ^ a b c 「㤄」の字は「忄+巿(ふつ)」。
- ^ アスラン(aslan)もしくはアルスラン(arslan)はテュルク系の言葉で「獅子」を意味する。
- ^ 19世紀の終わりごろからヨーロッパの東洋学者たちを中心に、「弐師」をギリシア史料のいう「ニサ」に比定する説が広まったが、現在では反対説が存在する[15]。
- ^ 玄奘の伝聞にすぎない言葉であろうから、深く詮議するに当たらないが、フェルガナは元来イラン系民族が住んでいたらしい。アレクサンドロス3世(大王)も当地には侵入していない。ただクシャン王朝は当地を併合したが、人種的にはほぼ同系とみられるから大きな変化を見せたとは思えない。漢代の記事ではあるが、「大宛より以西、安息に至るまでは、国ごとに頗る言語を異にするといえども、大いに習俗を同じくし、互いの言葉を知っている。その人みな深眼にして鬚が多く、市賈を善くして分銖を争う。俗として女子を貴び、女子の言うことで男子は正を決す。」とある。
- ^ 『新唐書』西域伝下によれば、「魏・晋より王統の絶えることなく」統一されていたが、唐の貞観年間に遏波之と阿了参が呼悶城と渇塞城に分かれて統治して以降、シル川の北に「大城6・小城100」という状態になった。
出典
大宛と同じ種類の言葉
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