口之島 歴史

口之島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/06 02:26 UTC 版)

歴史

口之島の形成

口之島は4期の火山活動によって形成された[35]。第1期はフリイ岳や向岳が形成された火山活動であるが年代が不明であり、第2期は烏帽子岳・ホトケビラ岳・ウエウラ岳の外輪山を作る火山活動、第3期は横岳を形成する火山活動[35]、第4期は落としの平溶岩円頂丘を作る活動と燃岳を作る火山活動であった[36]

口之島の遺跡

口之島の遺跡としては、ヤマゴロウ遺跡、ナカキヤマー遺跡、ゲロー遺跡、トンチ殿地の4か所があり[37]、ヤマゴロウ遺跡では土器片と石器が発見されており、土器片は縄文土器須恵器のものが、石器は磨製石斧が見つかっている[37]。縄文土器には市来式土器が発見されており、市来式土器は奄美大島宇宿貝塚でも発見されていることから吐噶喇列島を経由して本土から奄美大島へ渡ったことの証であるとされる[37]

ナカキヤマー遺跡については、土器の破片が発見されているが「十島村誌」によれば調査は行われていない[38]

中世の口之島

「十島村誌」によれば1471年に成立されたとされる李氏朝鮮申叔舟によって記述された海東諸国紀の地図中に「口島」として口之島の記述が見える[39]

近世の口之島

江戸時代の口之島は薩摩国川辺郡のうちであり、薩摩藩直轄地であった[14]。薩摩藩の統治機構である外城制の対象外であり、川辺十島[注釈 3]全域が船奉行の支配下に置かれていた[14][40]。口之島の石高は「薩藩政要録」及び「要用集」によれば110石余[14]、「三州御治世要覧」によれば111石余であった[40]薩摩藩の直轄統治が行われており口之島には在番所が置かれ、口之島・臥蛇島・平島を管轄した[41][40]。また、異国船番所・津口番所が口之島に設置されていた[42]1658年万治元年)頃の人口は222人であった[43]。「元禄国絵図」に口ノ島と見え、島回り2里25町余りと記載されている[40]。島の総社は八幡神社であり、東の浜に所在している[40]

口之島では自給自足を目的とした漁業がおこなわれており、カツオを中心にサワラマグロシイラタイフカエビボラメバルエラブウナギヤコウガイホラガイなどが獲れた[44]

近代の口之島

1875年(明治8年)には江戸時代からの在番所毎に戸長が置かれ、口之島の戸長が口之島を治めた[40][41]。明治20年ごろの口之島では鰹節塩辛、煎脂などの海産品や自生の木耳などを積んで鹿児島へ渡り、鹿児島の仲介人へ販売し、代金で生活必需品を仕入れていた[45]

1889年(明治22年)には中之島外九島の戸長が置かれ[41]戸長役場中之島に置かれた[46]1896年(明治29年)4月1日には「鹿兒島縣下國界竝郡界變更及郡廢置法律」(明治29年法律第55号)が施行されたのに伴い、薩摩国川辺郡のうち十島が大隅国大島郡に移管された[14]。明治30年代には口之島に定期寄港する航路があった[47]

1908年(明治41年)4月1日沖縄県及島嶼町村制(明治40年勅令第46号)が施行されたのに伴い、硫黄島竹島黒島、口之島、中之島臥蛇島諏訪之瀬島平島悪石島小宝島宝島の区域より鹿児島県大島郡十島村(じっとうそん)が成立し、それまでの口之島は十島村の大字となった[14][48]

1920年(大正9年)4月1日には十島村に本土並みの町村制が施行された[49]。町村制が施行されたことにより島嶼町村制に比べ、自治権が認められるようになり、口之島にも十島村村長の指名によって町村制による区長が置かれた[49]1925年(大正14年)には十島村の区長制度が改められ口之島全域からなる八区が設定された[49]

第二次世界大戦中には、口之島のフリイ岳の頂上に大日本帝国海軍防空監視哨が設置されており、20名程度の軍人が常駐していた[50][51]1945年(昭和20年)3月24日以降はアメリカ軍の潜水艦や航空機による攻撃が激しくなったことから村営船の運行が困難になり定期便が廃止され、1956年(昭和31年)まで定期船が就航することはなかった[52]4月2日には校務のため口之島から中之島へ渡航中であった口之島国民学校長が海上で機銃掃射に遭い殉職している[50]

「国境の島」としての口之島

日本国からの分離

SCAPIN-677によって定められた日本の施政権が及ぶ範囲。"Kuchinoshima Island"の記載がある

1946年(昭和21年)1月29日連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、連合国最高司令官の指令「若干の外かく地域を政治上行政上日本から分離することに関する覚書」(SCAPIN-677)として以下の内容を日本国政府に送付した[10]

3  この指令の目的から日本と言ふ場合は次の定義による。

日本の範囲に含まれる地域として
日本の四主要島嶼(北海道、本州、四国、九州)と、対馬諸島、北緯30度以北の琉球(南西)諸島(口之島を除く)を含む約1千の隣接小島嶼
日本の範囲から除かれる地域として
(a)欝陵島、竹島、済州島。(b)北緯30度以南の琉球(南西)列島(口之島を含む)、伊豆、南方、小笠原、硫黄群島、及び大東群島、沖ノ鳥島、南鳥島、中ノ鳥島を含むその他の外廓太平洋全諸島。(c)千島列島、歯舞群島(水晶、勇留、秋勇留、志発、多楽島を含む)、色丹島。

日本の範囲から除かれる地域として「北緯30度以南の琉球(南西)列島(口之島を含む)」とあり、文中に「口之島を含む」と明記されていることから、島内を北緯30度線が通過する口之島の全島を含む北緯30度以南の琉球(南西)諸島[注釈 4]の区域が日本国の行政権司法権の及ぶ区域から除外された[10][53]。一部の例外を除いて下記の「日本の範囲に含まれる地域」に指定された区域以外の地域に対して日本国政府から通信を行なうことが禁止された[54]

同年2月2日には口之島を含む北緯30度以南の西南諸島は通称「二・二宣言」によってアメリカ合衆国海軍琉球列島米国軍政府の統治下に置かれることとなり[10]3月16日には軍政府命令第二号により日本国政府及び鹿児島県の行政権を継承した軍政府の管理下の大島支庁(のちに臨時北部南西諸島政庁奄美群島政府となる)の行政権下に置かれた[55]

軍政下の口之島

地図中の黒い線は1946年までの十島村の区域であり、赤い線が北緯30度線である。
口之島の地図と北緯30度線。北緯30度線を境に北が日本国、南がアメリカ軍政下となった。但し、口之島は全域がアメリカ軍政下となった。

1946年(昭和21年)2月4日に軍政府より奄美諸島の海上封鎖指令が通達され、北緯30度線を境に日本本土と奄美間の自由渡航が禁止された[56]

これに伴って国境の島となった口之島は密貿易の拠点となり[52]、口之島を介した口之島ルートによる密貿易が行われた[57][51]。ポンポン船と呼ばれる5トンから6トンの小型船によって口之島を拠点に本土商人と奄美・沖縄との交易が行われ[56]、密貿易の拠点となった口之島には奄美や沖縄の商人が多く出入りし、日に40から50隻ほどの密航船が入出港していた[58][57]。奄美方面からは黒砂糖コーヒータバコ、鹿児島方面からは生活必需品が運ばれ、口之島の港でこれらの物資の交換が行われていた[59]。また、口之島に荷揚げせずに島陰や海上で積み替えを行うなど、警備の隙間を縫って取引が行われた[60]

隣接する中之島に所在していた中之島国民学校(現在の十島村立中之島学園)に勤務していた教員である宮山清が記した「黒潮の譜 : 戦時中の十島記」には当時の口之島について以下のように記されている[61]

南北密貿易の仲介地点として大変繁盛した。本土から奄美、沖縄からのヤミ商人で町をなし、にわか民宿や小料理屋もでき、男女入り乱れての賑わいであった

黒潮の譜 : 戦時中の十島記、宮山清

また、渡船場使用料を徴収するため当時村役場が所在していた中之島から口之島に渡った十島村役場の職員でのちに十島村村長となる松下傳男は当時の口之島の状況とわずかな配給物資と自給自足に頼る暮らしの中で密貿易による物資調達について2022年の日本放送協会の取材に対して以下のように語っている[62]

海岸、港の近くに何十軒も家が建って、ご飯を食べるところや、飲むところがありました。店のあるところは一晩中みたいに明かりがついていました。闇船だから、法律をくぐってやってるわけだから、いいとは思わなかったんですが、悪いとも思いませんでしたね

鹿児島県十島村 沖縄本土復帰と“もうひとつの日本復帰”、松下傳男

ヤミ商人と警察官との熾烈な逃走劇も繰り広げられたという[61]。同年4月6日には、口之島に口之島巡査派出所が設置され、密貿易に対する警戒にあたった[63][48]。また、日本国政府側も海上保安庁の職員を700名ほど増員して密貿易に対する警戒を行った[64]

同年6月には臨時北部南西諸島政庁の管轄下である奄美群島において市町村制(1949年臨時北部南西諸島政庁令第21号)が施行され、アメリカ合衆国統治下の十島村の区域である北緯30度以南の口之島、中之島、臥蛇島、諏訪之瀬島、平島、悪石島、小宝島、宝島を以て新たに十島村が設置された[65]

1950年(昭和25年)に竣工した口之島中学校の校舎の建築費用は、密航で口之島に寄港する船から港の使用料を徴収したものが充てられたとされる[66]。同年10月に襲来したルース台風ではバラック教室と校長住宅が崩壊する被害を受けた[66]

吐噶喇列島の本土復帰

1951年(昭和26年)7月に日本国との平和条約の条文を報じたAP通信の「対日講和条約草案」では北緯29度以南の地域の信託統治について規定がされていたものの、北緯29度以北にあたる吐噶喇列島については規定されていなかったことから、日本国への本土復帰が確実視された[67]

1951年(昭和26年)12月5日には連合国軍最高司令官総司令部より「若干の外かく地域を政治上行政上日本から分離することに関する覚書」(SCAPIN-677/1)として以下の内容が日本国政府宛に送付され、SCAPIN-677によって日本の区域から除外されていた北緯29度以北の区域の日本国政府の行政権・司法権が回復することとなった[67]

一、関係覚書

a 昭和二十一年一月二十九日日本政府に対する覚書AG091(SCAPIN677)「若干の外かく地域を政治上行政上日本から分離することに関する覚書」
b 昭和二十一年三月二十二日日本政府に対する覚書AG091(SCAPIN841)「若干の外かく地域を政治上行政上日本から分離することに関する覚書」

二、上掲覚書によつて改められた上掲覚書aの第三項を更に改めて、北緯二十九度以北の琉球(南西)諸島は、該指令の目的から日本として定義される地域の中に包含されるものとする。

三、日本政府は、これらの島に対して、連合国最高司令官の権限の下におかれることを條件として、政治上、行政上の管轄権を回復することを指令せられる。

同年12月21日には日本国政府は吐噶喇列島の本土復帰の暫定措置を定める政令である『昭和二十六年十二月五日附連合国最高司令官覚書「若干の外かく地域の日本からの政治上及び行政上の分離に関する件」に伴う鹿兒島県大島郡十島村に関する暫定措置に関する政令』(昭和26年政令第380号)を公布・施行し、翌年1952年(昭和27年)2月4日には「北緯二十九度から北緯三十度までの間にあるもの(口之島を含む。)」の区域が日本国へ復帰した[68][51]

日本国へ復帰する直前の口之島には口之島と臥蛇島を管轄する名瀬地区警察署口之島巡査部長派出所、琉球臨時中央政府琉球政府の前身)所管の口之島郵便局が置かれていた[69]

本土復帰後

1952年(昭和27年)2月4日に日本国へ復帰した吐噶喇列島であったが、同年2月10日に「鹿児島県大島郡十島村に関する地方自治法の適用及びこれに伴う経過措置に関する政令」(昭和27年政令第13号)によって吐噶喇列島の区域へ日本法である地方自治法(昭和22年法律第67号)が適用されると同時に、軍政下となるまで吐噶喇列島(下七島)とともに同一の村を形成していた上三島と事実上分割されることとなり、同政令の規定により「鹿兒島県大島郡十島村の区域で北緯二十九度から北緯三十度までの間にあるもの(口之島を含む。)」の区域にあたる口之島、中之島、臥蛇島、諏訪之瀬島、平島、悪石島、小宝島、宝島の区域を以て地方自治法に基づく鹿児島県大島郡の「十島村」(としまむら)が新たに設置され[69]、口之島は十島村の大字となった[14]

2月17日には吐噶喇列島の全域が国家地方警察鹿児島地区警察署の管轄となり、口之島巡査派出所は巡査部長を配置する口之島巡査部長派出所となった(1965年(昭和40年)4月1日廃止[63][63][48]1954年(昭和29年)には口之島へき地診療所が西之浜港付近に開設され、医師の配置はなく、看護師が1名配置された[70]

1956年(昭和31年)には村営定期船が国・県の補助により開設され、口之島にも寄港するようになった[71]1961年(昭和36年)には中之島と口之島の間に海底ケーブルが敷設され[72]、口之島郵便局に農村公衆電話が開設されたことにより電話による通信が可能となった[73]1962年(昭和37年)には電気利用農業協同組合が設立され、離島電気事業導入事業により口之島に発電設備が整備された[74]。これらの設備は、電気利用農業協同組合や漁協協同組合の大きな負担となったことから1978年(昭和53年)7月に九州電力へ移管され、24時間送電が実現した[75]

1973年(昭和48年)4月1日には十島村の所属が大島郡から鹿児島郡へ変更となった[76][77]


注釈

  1. ^ 国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
  2. ^ 実際にはアメリカ合衆国軍の統治下にはあったが日本の潜在的主権下にあり、そのため北緯30度線はあくまでも占領の区域の北限であって正式な国境ではないが、分断された最北の地としてのニュアンスとして「国境の島」と表現されることが多い。
  3. ^ 現在の三島村及び十島村の区域を川辺十島と総称していた
  4. ^ 「口之島を含む」と表現する理由として、北緯30度線が島内の北部を通ることから口之島全体についてアメリカ合衆国統治下に置くため、このような表現がされる。

出典

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