動乱時代 2回目のモスクワ占領

動乱時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/25 02:32 UTC 版)

2回目のモスクワ占領

ニジニ・ノヴゴロドの人々に、ポーランド人に対する義勇軍の決起を訴えるミーニン(コンスタンチン・マコフスキー作、1896年)。

ポーランド・リトアニア軍は、ロシア国境を越え、スモレンスクを包囲し、20ヶ月に及ぶ攻城戦を展開した(Siege of Smolensk (1609–1611))。ロシア=スウェーデン連合軍がクルシノの戦いに敗れると、同年7月にヴァシーリー4世は退位を余儀なくされた。

その後、偽ドミトリー2世が皇帝の位に就く前に、ポーランド軍の司令官で、ヴォイヴォダ(領主)、マグナートでもあったスタニスワフ・ジュウキェフスキは、国王ジグムント3世の長男ヴワディスワフのロシア皇帝擁立に動いた。モスクワの一部の人々は、ロシア正教会の地位の維持と、一定の特権の付与を条件に、この構想を支持した。そうした了解の上で、ポーランド軍はモスクワに入城し、クレムリンを占拠した。

ポーランド王はこの妥協策に反対し、自ら皇帝となりロシアをローマ・カトリックに改宗させようと決意する。これには反対も多く、王の計画はロシアにおける反カトリック主義反ポーランド感情を引き起こした。バルト海沿岸のイングリア地方で、やがてスウェーデン・ポーランド戦争に展開する実質的戦争状態にあったスウェーデンも、ロシアに宣戦布告し(イングリア戦争)、新たな偽ドミトリーをイングリアのイヴァンゴロドで擁立した。スウェーデン王子であるカール・フィリップ(1611年に即位したスウェーデン王グスタフ・アドルフの弟)もノヴゴロド市民によってツァーリに擁立されたが、偽ドミトリーたちやポーランド王太子ヴワディスワフほどの対抗馬にはなれなかった。

ロシアは国家機能を喪失していた。皇帝は空位となり、大貴族は互いに対立していた。ロシア正教会の総主教ゲルモゲーンは投獄され、カトリックであるポーランド軍がクレムリンやスモレンスクを占領し、プロテスタントであるスウェーデン軍がノヴゴロドを占領していた。タタールの侵略が続いて、ロシアの南部境界地域は無人化し、荒廃しており[4]、無数の無法者の群れが全土で跋扈していた。一連の戦争や反乱によって、何万人もの人が死んだ。1611年3月17日から19日にかけて、ポーランド軍とドイツ人傭兵はモスクワの反乱を名目に鎮圧し、 住民7000人を虐殺して町に火を放った[5]9月22日にはポーランド・リトアニア軍がヴォログダの住民と聖職者を皆殺しにした[5]。 この他にも数多くの都市が破壊され、ロシアは更に弱体化をした。


  1. ^ Borisenkov E, Pasetski V. The thousand-year annals of the extreme meteorological phenomena. ISBN 5-244-00212-0, p. 190.
  2. ^ John Stevens Cabot Abbott, The Empire of Russia; "The murderers ransacked the palace, penetrating every room, killing every Polish man and treating the Polish ladies with the utmost brutality."「殺人者たちは宮殿内をくまなく探しまわり、全ての部屋に押し入り、ポーランド人の男を皆殺しにし、ポーランド人の女たちに暴虐の極みを尽くした。」
  3. ^ John Stevens Cabot Abbott, The Empire of Russia; "The Poles were exasperated beyond measure at the massacre of so many of their nobles and at the insult offered to Mariana, the tzarina. But Poland was at that time distracted by civil strife, and the king found it expedient to postpone the hour of vengeance."「ポーランド人たちは、自国の貴族たち多数が虐殺され、マリアナが辱められたことに対して尋常ならず激怒した。しかし、当時のポーランドは内訌を抱えており、国王は、復讐の機会を先送りにするのが賢明であると判断した。」
  4. ^ The Tatar Khanate of Crimea, allempires.net
  5. ^ a b c Sergey Solovyov, History of Russia from the Earliest Times, Vol. 8.
  6. ^ Nikolay Kostomarov, Russian History in Biographies of its main figures, Chap. 30.
  7. ^ Dunning, Chester S. L. (2001). Russia's first civil war: the Time of Troubles and the founding of the Romanov dynasty. Penn State Press. ISBN 0271020741 






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